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【九森信造】宮部みゆき『地下街の雨』【高城亜樹】

   ↑  2013/07/31 (水)  カテゴリー: ナツイチ
どうして、ナツイチとタイアップしたか前編~あきちゃと九森信造~

集英社文庫のキャンペーン「ナツイチ」が、今年はAKBとコラボしており、メンバーによる読書感想文が公開されています。当ブログ、無頼派メガネも勝手にタイアップすることにしました。

ナツイチとはいえ、今回のAKBとのコラボ、はっきり言えば「宮部みゆき」と「高城亜樹」のコラボがなければ、当ブログのタイアップ企画も生まれなかったでしょう。

実は、私、あきちゃこと高城亜樹の魅力にかなり前からやられております。

まずは、来歴などを書くのもいいんですが、最近のアイドルにしては珍しい褐色の肌。それもそうで、高校の進学をテニスのスポーツ推薦で決めたという経歴の持ち主。

いや、それよりも何よりも、私が彼女に心底魅かれたのは、あるテレビ番組の企画でした。

その番組は、AKBの冠深夜番組、AKBINGOで2010年5月に放送されたドッキリ企画。あきちゃの先輩であるチームAのキャプテン高橋みなみの目の前で大島優子がギターを壊すドッキリ企画であきちゃは完全に巻き込まれる立場でした。

先輩の大島優子がギターを触るのを止めることができず、危なっかしい使い方をソワソワしながらフォローしたり、壊れた後は、なんとか修理しようとしてもうまくいかない。

そして、ドッキリが終わった後は、ドッキリに仕掛けられた高橋みなみ以上の号泣。。。

見てみないとわからないと思いますが、画面内外から伝わってくるあきちゃの人間性に「この子、純粋に応援したいな」と思うようになったわけです。

どうして、ナツイチとタイアップしたか後編~あきちゃと九森信造~

2011年10月3日、あきちゃの20歳の誕生日に私、九森信造はある決断をいたしました。

「あきちゃのこれからの芸能生活を支えるような良著(自分の好きな作品)を送ろう」

そうして選んだのが、私の最も好きな作家である、宮部みゆきの『クロスファイア』でした。

確かに「中2病」として嘲笑に値するかもしれません。しかし、私はこのクロスオーバーを見て、勝手にタイアップ企画を決意したのです!

読書のきっかけと感性

あきちゃの読書感想文のこうはじまります。

「前に宮部みゆきさんの本は数冊読んだことがあって、現実的でありながら少し奇妙な印象を受ける作品が多く感じられました。今回の本は、短編小説。この一冊に宮部みゆきさんワールドがたくさん詰まっている作品でした。」


まあ、この時点で「僕の送ったクロスファイアが彼女の読書人生の一つのきっかけになっていたらなあ」と夢想したりします。

さて、きちんと書評に入っていきましょう。

このあきちゃの感想はあながち的外れではありません。

なぜなら、以前宮部みゆきはこういう趣旨のことを語っていたからです。

「どんな人物を描いたところで、結局、自分の中からしか出てこない人物であれば、思い切って描いてしまえと思うんです。」


これは、まさに、あきちゃが感じた「宮部みゆきさんワールド」の真骨頂であろうと思います。

「現実的でありながら少し奇妙」に見えるのは、宮部さんが良い意味で作品中で暴走することを感性のレベルで感じ取ったからでしょう。

あきちゃの恋愛観

『地下街の雨』の内容に触れるとしましょう。主要な登場人物は、同僚と婚約が破談になり会社を辞めた三浦麻子、その同僚の友人である石川淳史、そして森井曜子という謎の女性です。


地下街の雨 (集英社文庫)


ストーリーの要諦はあきちゃの感想文を引用すれば事足りるでしょう。

「この森井曜子は、物語の中ではすごく強烈なキャラクターです。第一印象は、物静かな女性っぽい雰囲気だったけど、虚言癖や妄想癖があるキャラクターに変貌する。その片隅が見えてきたのが「顔の片側で敦史に笑いかけ、残る片方で、麻子をねめつけている」というシーンです。宮部みゆきさんワールドであって、少し人間的に怖いと思いました。物語が進むにつれ、話が急展開し、麻子の今の彼氏である石川敦史と森井曜子が知り合いで、三浦麻子に近づくために計画された行動、芝居であったのです!」


宮部作品の醍醐味の一つは、複雑怪奇に絡み合う登場人物の思惑です。誰一人として一筋縄ではいかない。そこを良くおわかりになっている感想です。

一方で、あきちゃは等身大の自分としての感想も述べます。

「女性だからこそ、どうすれば敦史に興味を示すのかという奥深い考えと、男性だったら積極的な人がいいな、と思いながら物語の世界に吸い込まれて、楽しめた短編小説でした。」


また、物語終盤に麻子と淳史の間にこのようなやり取りがあります。

(麻子)「探しちゃった?」
(淳史)「うん」
(麻子)「心配した?」
(淳史)「そうだよ。当たり前じゃないか」


麻子が淳史に魅かれた理由はこの点だったのでしょう。

つまり、「私はこの人なしでも生きていけるかもしれないけど、この人は私なしでは生きてけるはずがない」と思える関係性こそ、麻子が淳史に魅かれた理由だったと思います。

きっと、あきちゃの周りにもいずれ、あきちゃなしでは生きていけない男性が現れるでしょう。

その時、たとえ、あなたがびしょ濡れでも、傘を持った彼にやさしく微笑んで、傘を受け取ってあげてくださいね。

【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】高城 亜樹の課題図書「地下街の雨」の読書感想文はこちら!

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-28.html

2013/07/31 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【九森信造】太宰治『人間失格』【松井玲奈】

   ↑  2013/08/07 (水)  カテゴリー: ナツイチ
処女性を感じさせる人間失格

『人間失格』を読んだ松井玲奈は「SKEのかすみ草」といわれる、清楚なイメージを抱かせる存在である。

ある意味、AKBの20代のメンバーの中で、処女性(実際問題は別にして)を最も感じさせる女性であると、私は勝手に思っている。

そんな彼女の感想文はこの一節から始まる。

「神様みたいないい子でした。」と締められるこの「人間失格」タイトルからはこんな締めの言葉になるとは一瞬も思わなかった。


玲奈は「神様みたいないい子」という言葉は、周囲の人々からの褒め言葉だととらえている。だが、その褒め言葉の代償として、登場人物の葉蔵と自らを重ね合わせてこう語っている。

確かに葉蔵は酒に溺れ、多くの女性と関係を持ち、恥の多い生涯を送っていたのかもしれない。しかし、周りから見れば彼は「神様みたいないい子」だったのだ。

(中略)

とにかく人の為に動いているようにいい人を演じていた。そんな自分を心の中で恥じて生き続けた結果が、他人と自分の印象のズレにつながったのだろう。

この本を読んで、私も周りの目を気にして自分が思っていることは口にせず、当たり障りのない言葉を口にして自分を守ったことがあった。


冒頭に、彼女のことを処女性を最も感じさせると書いたが、それと同時に、彼女はギャップの激しいキャラクターである。

肉が食べられないにもかかわらず、激辛料理は食べられる。そこから、AKBの学芸会的ドラマ「マジすか学園1・2」では2作連続で、ゲキカラというサイコなキャラクターを演じ、その白い肌に生える流血シーンを展開している。

彼女のことを知れば知るほど、「神様のようにいい子」ではないことがよくわかる。

神様は人間失格

私は、人間失格の最後の一節を読んだ後、浜崎あゆみのBoys&Girlsの歌詞の一節を思い出した。

本当は期待してる
本当は疑ってる
何だって 誰だってそうでしょ
”イイヒト”って言われたって”ドウデモイイヒト”みたい


人から期待された反応を汲み取り、期待された通りの言動しか起こせない人格は、”ドウデモイイヒト”なのかもしれない。そして、神様になれるはずのない人間が「神様のようにいい人」と言われた瞬間、「人間失格」になるのかもしれない。

コミュニケーションから生まれる「イイヒト」

しかし、受け手にも責任があるかもしれない。

玲奈は感想文をこう締めている。

神様にはなれないけれど、人の本当の気持ちが少しでも汲み取る事ができる、そんな人に、私はなりたいと思った。


「イイヒト」を演じるのは本人だが、それは受け手によって作り出される幻想なのかもしれない。だから、玲奈のように「少しでも汲み取る」ように努力したい。人間合格は受け手の側から始まるのかもしれない。


人間失格 (集英社文庫)


【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】松井 玲奈の課題図書「人間失格」の読書感想文はこちら!

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-31.html

2013/08/07 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【九森信造】谷瑞恵『思い出のとき修理します』【松井珠理奈】

   ↑  2013/08/14 (水)  カテゴリー: ナツイチ
『思い出のとき修理します』を読んだ松井珠理奈ことじゅりなは、松井玲奈とともにSKE48の双璧を成す。

人呼んでJR松井だが、多くの人はこの2人を仮想姉妹と見なす。その場合、姉の玲奈はおしとやかで、おとなしいのに対し、妹のじゅりなはおてんばのしっかり者として捉えられる。

その設定は作品選びにもよく表れており、姉の玲菜が背景的にも内容的にも重厚な『人間失格』を担当したことに対し、じゅりなは比較的取り組みやすい『思い出のとき修理します』を取り上げている。


思い出のとき修理します (集英社文庫)


内容的には、過去に傷を持った、時計修理屋のシュウと美容師の明里が商店街の人々と触れ合う中でそれぞれの過去に決着をつけていくという物語。

しかし、その物語を読んだ感想として、じゅりなはこう端的に述べている。

わたしは、「思い出のとき修理します」というこの本のタイトルを見たときに、思い出は修理できるのだろうか、修理したい思い出とはどんなものなのか、興味をもちました。


じゅりな自身の過去をさかのぼった場合に「修理しなければいけない思い出(壊れている思い出)」がないということだ。

本作では、いずれの登場人物も事情によって過去とまっすぐに向き合うことができずにいる。

「向き合うことができない(壊れている)」から「改めて向き合う(修理する)」のである。

だからこそ「思い出を修理するお手伝い(一緒に向き合う人や出来事)」が必要になるというわけだ。

本作自体の出来云々は置いておくとして、商店街が舞台となっているのは、そこに過去と向き合うための時間とつながりが存在しているという前提と、逆に都市化した空間ではそのような時間もつながりも得ることができないという前提を、読者が共有しているからだろう。

じゅりなはこう結論する。

不思議な出来事なんですが、心温まる結末で優しい気持ちになれました。
もしかしたら、自分の近くにもこんなことがあるかもしれない。
いや、あったらいいなと思いました。


名古屋という大都市の寵児じゅりなも、上で挙げたような前提を共有し、この作品から、かつてあったような気がする理想的なコミュニティの温度感を感じたのかもしれない。

一つ間違えれば、安っぽい恋愛SFラノベと捉えられかねない本作をそのような作品として昇華させ、感想を述べた、じゅりなの感性に敬服するばかりである。

【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】松井 珠理奈の課題図書「思い出のとき修理します」の読書感想文はこちら!

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-33.html

2013/08/14 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【九森信造】製作委員会『いつか、君へ Boys』【前田亜美】

   ↑  2013/08/21 (水)  カテゴリー: ナツイチ
「ナツイチ勝手にタイアップ企画」では、5作品を紹介する予定だが、実は、この作品だけ決め方が特別である。

一番初めに紹介した高城亜樹の作品を見ていただければわかるように、読書感想文が発表される前からあらかじめ、紹介するメンバーや作品を決めていた。

それに対して、この前田亜美ことあーみんの作品だけは、あーみんの読書感想文を見て、取り上げることに決めた。


いつか、君へ Boys (集英社文庫)


前田亜美と言えば、モデルを思わせるスタイルに対して、いまどき珍しい、太眉毛、そして何より、AKBの絶対的センターであった前田敦子と苗字が同じということもあり、早い段階からAKB関連のメディアで登場していた。

期間限定とはいえ、AKBのほぼ全員の感想文を読破しているが、やはり強烈な印象をもったのは、彼女の感想文におけるカミングアウトである。

「私の家もシングルマザーです。」


彼女の本は短編集であり、その中の一つを彼女が選んだ。その内容は、自分が生まれると同時に父親を亡くした息子と、その母親の関係性を綴ったものであった。

間違いなく、あーみんは自分の境遇と照らし合わせたに違いない。

本編は、父親の死を乗り越える為の儀式のような旅行として、母親に同行する息子の視点で描かれている。

ただし、あーみんと本編の主人公の大きな違いは、生き別れと死に別れという点である。

あーみんは自分の家族に対してこう語っている。

「私は会おうと思えばいつでも両親に会えます。けれど家にいるのはママだけ。でも私は不幸に感じたことはありません。」


対照的に、本編の主人公は家族に対してこう語っている。

「母がいまだに正喜さん(筆者注:主人公の父親)のことを想っていることは、そしていまだに悲しみが癒えていないことは一緒に暮していれば、痛いほどにわかる。(中略)表面上は笑ったりする。でも、心からの笑顔でないことを僕は知っている。」


主人公は、声や感覚では知りえない父親を、母親の悲しみの中に見出す。

ここで、あーみんは別の切り口から新たな視点を提供してくれます。

「将来、娘たちみんなが新しい家族を作ったら“ママは一人かな?”と心配してるときもあります。でも、あみはママに幸せになってほしいから好きなようにしてほしいです。一緒にいれるならママと一生一緒にいたい。再婚したら正直、新しいお父さんと仲良くなれるかわかりません。」


いずれ、本編の主人公も、あーみんも自分たちの両親がそうして来たように、大切な人を見つけ、新たな家庭を築いていくかもしれない。

その時、母親はひとりで生きていけるのだろうか。もちろん、そのような選択をする人もいると思う。

本編の母親の言葉を借りてみよう。

「ママはこれから先も、生きていかなくちゃいけないから。人はひとりじゃ生きていけないってことが、はっきりわかった。もちろん、ママには薫(筆者注:主人公)がいてくれるけど、親子とは、少し意味が違うのよ。」


本編のママの感覚であれば、生き別れる、つまり死別ではなく、選択的な離婚がどうして起こりうるのかわからないであろう。

こう考えると、選択的な離婚は若さゆえの過ちなのかもしれない。

若いころは、何でも一人でできると思う。明日、突然様態が急変して、電話も掛けられない状況に陥るなどと考えることもない。

「相性があわない」「価値観が違う」

それは、一人になるための後付けでしかないのではないだろうか。そんな理由が成立してしまえば、結婚に踏み切ること自体が「若さゆえの過ち」と扱われてしまいかねない。

結婚適齢期が遅くなっているのは、相対的に高齢化社会を迎え、「若さ」の定義が揺れていることと無関係ではない。

あーみんの職業はアイドルである。

アイドルとは刹那であり、永遠である。

彼女がいずれ築くであろう家庭が、平穏であることを願ってやまない。

【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】前田 亜美の課題図書「いつか、君へ Boys」の読書感想文はこちら!

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-37.html

2013/08/21 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【九森信造】瀬戸内寂聴『ひとりでも生きられる』【秋元才加】

   ↑  2013/08/28 (水)  カテゴリー: ナツイチ
秋元才加は、AKBであることよりも、彼女の名前よりも、彼女自身の見た目や言動の方が際立っているのかもしれない。

いいとものレギュラーなどマスメディアへの露出だけでなく、2期生中心のチームK創生期のリーダーとして君臨した。

そんな彼女が、本日2013年8月28日、AKBを卒業する。

彼女が2期生として活動を始めたのは2006年のことだった。首相はまだ、小泉純一郎氏であり、リーマンショックも東日本大震災も起こっていない時代だった。

1期生と2期生は、常日頃から先の見えない自分たちの人生を切り拓くためにも、アイドルを、いやAKBを世間に知らせ、認めさせる戦いの中に身を置いていた。

その戦いは、孤独を感じながらの仲間との共闘であっただろう。

2011年に公開された「Documentary of akb1」で、前田敦子はこう語っている。

「最近すごい思うのが、テレビとかニュースをふと見たとき、自分が知らないところで他の子が何かをやっていることがありますね。例えば、AKBが何か賞をもらっても、自分はほかの撮影をしていて、他のメンバーがもらっているということがあります。」


2000年前後にモーニング娘。にはまり、BONBONBLANCOでアイドルを離れた私が、再びアイドルの世界に戻ってきたのは「(AKB48)」のせいである。

私の知る限り、前田敦子、篠田麻里子、板野友美、そして秋元才加といった面々は、ピンで何らかの番組や企画に参加してするときは、常に名前の後ろに「(AKB48)」という看板を背負っていた。

私のように、彼女たちを入り口にして、AKBという現象に巻き込まれていった人も少なくないに違いない。

確かに、リーマンショック以降、日本全体で広告宣伝費が削減され、手ごろに利用でき、なおかつ商品購買を促す能力の強いタレントとしてAKBに白羽の矢が立ったことは間違いないであろう。

それでも、彼女たちの悪く言えば貪欲、よく言えば懸命なパフォーマンスや活動の上に、今日のAKBが成立していることは疑いようがない。

そして、上にあげた4人のうち、前田敦子が昨年の夏に卒業し、そして、まるでタイミングを合わせたように、残りの3人がこの夏に卒業していく。

間違いなく、AKBの一つの時代が終わるのだ。


ひとりでも生きられる (集英社文庫)


秋元才加はこんなことを書いている。

「『人は別れるために出逢う』文字だけを見ると、出逢う前から別れを意識しながら人と出逢うのか…と少し寂しく思う人も居るはずだ。それは、違う。この言葉は、愛が無くては生きていけないが、滅びることのない愛もまた存在しない。」


これを読んだ私たちは、彼女がAKBに対して「やり切った感」を持っているのではないかと感じざるを得ない。

今までは、AKBの看板を背負ったメンバーのパーソナリティやキャラクターが認められ、世間がAKB現象を認め、巻き込まれていった。

だが、もはやその必要はない。AKBは世間の大きな部分を占めるようになり、私たちは彼女たち無しの日常を思い出すことができなくなった。

さて、秋元才加は、今までのAKBの自分から脱却しようとしている。

「私はまだ傷付くのが怖い。情熱を持って愛にぶつかる事が出来ない。どんな結果であっても、一つ一つを自分の養分に出来るような、そんな女性でありたい。その上で、愛される事で見つけられる自分の中の女を、自分で馬鹿だなあと少しあきれつつも思う存分味わいたい。」


AKBの秋元才加ではなく、ただ一人の女性タレントとして、受け入れられることもあれば、逆に無視されることもあるだろう。

そうして、与えられる賞賛や批判、すべての愛情の中で、彼女自身が彼女自身であることを誇れる日が来るのかもしれない。

旅立つ彼女に多くの言葉はいらない。私の5回に渡ったレコメンドもそれぞれが、感想文を書いた彼女たちへの送る言葉であった。

しかし、彼女たちの戦友の言葉に勝るものはなかろう。

先ほどあげた、「Documentary of akb1」の前田敦子の言葉を最後に引用する。

「AKBで居続けられる間は居続けていたいけど、AKBのみんなの最終目標は、AKBからどう羽ばたいていくかということなので。AKB48という名前が無くてもどれだけやれるかというのが勝負だと思う。」


AKBから羽ばたく選択をした、功労者である彼女たちのキャリアに多大なる幸あらんことを。

何より、無頼派メガネにAKBのベンチマークを与えてくれたことを感謝しながら、静かな部屋に、RIVERの音楽と共に響く、タイピングの手を止める。

【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】秋元 才加の課題図書「ひとりでも生きられる」の読書感想文はこちら!

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-38.html

2013/08/28 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |