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【九森信造】宮部みゆき『地下街の雨』【高城亜樹】

   ↑  2013/07/31 (水)  カテゴリー: ナツイチ
どうして、ナツイチとタイアップしたか前編~あきちゃと九森信造~

集英社文庫のキャンペーン「ナツイチ」が、今年はAKBとコラボしており、メンバーによる読書感想文が公開されています。当ブログ、無頼派メガネも勝手にタイアップすることにしました。

ナツイチとはいえ、今回のAKBとのコラボ、はっきり言えば「宮部みゆき」と「高城亜樹」のコラボがなければ、当ブログのタイアップ企画も生まれなかったでしょう。

実は、私、あきちゃこと高城亜樹の魅力にかなり前からやられております。

まずは、来歴などを書くのもいいんですが、最近のアイドルにしては珍しい褐色の肌。それもそうで、高校の進学をテニスのスポーツ推薦で決めたという経歴の持ち主。

いや、それよりも何よりも、私が彼女に心底魅かれたのは、あるテレビ番組の企画でした。

その番組は、AKBの冠深夜番組、AKBINGOで2010年5月に放送されたドッキリ企画。あきちゃの先輩であるチームAのキャプテン高橋みなみの目の前で大島優子がギターを壊すドッキリ企画であきちゃは完全に巻き込まれる立場でした。

先輩の大島優子がギターを触るのを止めることができず、危なっかしい使い方をソワソワしながらフォローしたり、壊れた後は、なんとか修理しようとしてもうまくいかない。

そして、ドッキリが終わった後は、ドッキリに仕掛けられた高橋みなみ以上の号泣。。。

見てみないとわからないと思いますが、画面内外から伝わってくるあきちゃの人間性に「この子、純粋に応援したいな」と思うようになったわけです。

どうして、ナツイチとタイアップしたか後編~あきちゃと九森信造~

2011年10月3日、あきちゃの20歳の誕生日に私、九森信造はある決断をいたしました。

「あきちゃのこれからの芸能生活を支えるような良著(自分の好きな作品)を送ろう」

そうして選んだのが、私の最も好きな作家である、宮部みゆきの『クロスファイア』でした。

確かに「中2病」として嘲笑に値するかもしれません。しかし、私はこのクロスオーバーを見て、勝手にタイアップ企画を決意したのです!

読書のきっかけと感性

あきちゃの読書感想文のこうはじまります。

「前に宮部みゆきさんの本は数冊読んだことがあって、現実的でありながら少し奇妙な印象を受ける作品が多く感じられました。今回の本は、短編小説。この一冊に宮部みゆきさんワールドがたくさん詰まっている作品でした。」


まあ、この時点で「僕の送ったクロスファイアが彼女の読書人生の一つのきっかけになっていたらなあ」と夢想したりします。

さて、きちんと書評に入っていきましょう。

このあきちゃの感想はあながち的外れではありません。

なぜなら、以前宮部みゆきはこういう趣旨のことを語っていたからです。

「どんな人物を描いたところで、結局、自分の中からしか出てこない人物であれば、思い切って描いてしまえと思うんです。」


これは、まさに、あきちゃが感じた「宮部みゆきさんワールド」の真骨頂であろうと思います。

「現実的でありながら少し奇妙」に見えるのは、宮部さんが良い意味で作品中で暴走することを感性のレベルで感じ取ったからでしょう。

あきちゃの恋愛観

『地下街の雨』の内容に触れるとしましょう。主要な登場人物は、同僚と婚約が破談になり会社を辞めた三浦麻子、その同僚の友人である石川淳史、そして森井曜子という謎の女性です。


地下街の雨 (集英社文庫)


ストーリーの要諦はあきちゃの感想文を引用すれば事足りるでしょう。

「この森井曜子は、物語の中ではすごく強烈なキャラクターです。第一印象は、物静かな女性っぽい雰囲気だったけど、虚言癖や妄想癖があるキャラクターに変貌する。その片隅が見えてきたのが「顔の片側で敦史に笑いかけ、残る片方で、麻子をねめつけている」というシーンです。宮部みゆきさんワールドであって、少し人間的に怖いと思いました。物語が進むにつれ、話が急展開し、麻子の今の彼氏である石川敦史と森井曜子が知り合いで、三浦麻子に近づくために計画された行動、芝居であったのです!」


宮部作品の醍醐味の一つは、複雑怪奇に絡み合う登場人物の思惑です。誰一人として一筋縄ではいかない。そこを良くおわかりになっている感想です。

一方で、あきちゃは等身大の自分としての感想も述べます。

「女性だからこそ、どうすれば敦史に興味を示すのかという奥深い考えと、男性だったら積極的な人がいいな、と思いながら物語の世界に吸い込まれて、楽しめた短編小説でした。」


また、物語終盤に麻子と淳史の間にこのようなやり取りがあります。

(麻子)「探しちゃった?」
(淳史)「うん」
(麻子)「心配した?」
(淳史)「そうだよ。当たり前じゃないか」


麻子が淳史に魅かれた理由はこの点だったのでしょう。

つまり、「私はこの人なしでも生きていけるかもしれないけど、この人は私なしでは生きてけるはずがない」と思える関係性こそ、麻子が淳史に魅かれた理由だったと思います。

きっと、あきちゃの周りにもいずれ、あきちゃなしでは生きていけない男性が現れるでしょう。

その時、たとえ、あなたがびしょ濡れでも、傘を持った彼にやさしく微笑んで、傘を受け取ってあげてくださいね。

【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】高城 亜樹の課題図書「地下街の雨」の読書感想文はこちら!

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-28.html

2013/07/31 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【エトジュン】『風立ちぬ』(メガネ男子の話)

   ↑  2013/07/27 (土)  カテゴリー: エトジュン
今回は、映画『風立ちぬ』の内容には触れずに、それを「見る/語る」ための着眼点を紹介しよう。


kazetatinu.png


まず、私たちは「リアルであること」と「リアリティがあること」を分けて考えなければならない。

前者は「現実的であること」、つまり現実の写し絵であることを意味し、後者は「現実感があること」、つまり現実のことのように説得力があることを意味している。

映画に求められるのは「リアリティがあること」だが、私たちは「リアル」を手掛かりに「リアリティ」を感じるため、多くの場合は「リアルであること」が求められる。

さて、映画の登場人物における「リアリティ」は、その外見が内面を表すことで成立している。太ったキャラクターは、だいたい食いしん坊である。

では、映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎の外見(メガネ男子)は、どのような内面を表しているのだろうか。

ここでは「メガネ男子論」における先行研究を参照しよう。

「眼鏡の内に他人が容易に触れることのできないもうひとつの世界を抱えている、それがメガネ男子だ。眼鏡は彼らの深奥なる内面世界の存在を示唆すると同時に、それを外界から隔てる開かずの扉だ。」

夏休み集中連載:「メガネ男子」その1・メガネという枠 - ITmedia ニュース


なるほど、この分析に当てはまるキャラクターは多い。たとえば、名探偵のコナンくんが挙げられるだろう。

ところで、コナンくんのメガネは白く光る。これを「レンズ効果」という。

「ここでの眼鏡は『心の窓』とも呼ばれる目を覆い、表情を隠し、メガネ男子の本質である(と見なされている)彼らの内面世界がわれわれからいかに遠いものであるかを印象づける。」

夏休み集中連載:「メガネ男子」その3・レンズ効果 - ITmedia ニュース


もちろん「レンズ効果」は「リアル」ではあり得ない。ところが、私たちは「リアリティ」を感じている。なぜなら、キャラクターの外見(不透明)が内面(不明)を表しているように見えるからだ。

「普段は存在を意識させない透明なレンズが、あるとき彼我を決定的に隔てる壁として立ち現れ、背筋をぞくりと冷たいものが這う。そして眼鏡こそが、そうした彼らの本質を覆い隠しているようにも思えてくる。」

夏休み集中連載:「メガネ男子」その3・レンズ効果 - ITmedia ニュース


筆者が着目したいのは「壁としてのレンズ」という概念(着眼点)である。映画『風立ちぬ』には「レンズ効果」そのものは描かれないが、そこにレンズがあることを強調する演出がなされている。

それでは、堀越二郎の外見はどのような内面を表しているのだろうか。映画『風立ちぬ』は、メガネに着目して「見る/語る」べき作品である。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-26.html

2013/07/27 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【九森信造】『バカンスの恋』~ここにいたことで輝くアイドル~

   ↑  2013/07/24 (水)  カテゴリー: レコメンド
みなさん覚えていますか?アイドル氷河期を

今でこそ、AKBを初め、ももクロ、アイドリング、パスポ、さくら学院、東京女子流など、あげればきりがないほどのアイドルが活躍しています。

しかし、ご存知の方も多いと思いますが、10年ほど前はアイドル氷河期と言われ、2005年のAKB結成やパフュームのブレイクが始まるまでは、アイドルはもうオワコン(終わったコンテンツ)とみなされていました。

その時代背景において、マイナー路線のアイドルなんて、日が当たるはずもなく、活動を休止していったグループが星の数ほどいました。

その一つがBON-BON-BLANCOです。「ラテンパーカッションができるアイドル」として、ミュージカル「アニー」で主役を務めたアンナをボーカルに迎えた5人グループでした。

そもそも、アイドルとはなんぞや

アイドルという言葉ほど、多くの人々が使っているにもかかわらず、定義があいまいで人によって左右されるものも珍しいと思います。

私自身の定義は以下の通りです。

アイドルの価値は「ここにいたこと」を体現することである。その時代、その場所でしか発揮できなかった輝きを最大限に表現する。ある意味では、最上級の刹那的な魅力を提供する人やグループがアイドルの定義である。


今回紹介するBON-BON-BLANCOの「バカンスの恋」は、楽曲としては当然ながら、このアイドルという文脈を用いることによって、最上級の輝きを発揮する楽曲なのです。


バカンスの恋


僕たちは知っている。彼女たちが「ここにいたこと」を

「バカンスの恋」は、多くの人が開放的になる夏にじれったい恋をしている女の子を歌っています。その内容からは、夏特有の「モラトリアム感」が感じ取られ、誰しもが持つ、夏の思い出とリンクするようになっています。

アンナの魅力はなんと言っても、伸びのあるハスキーな高音でした。過去形にしたことには意味があります。

「バカンスの恋」の発表後、アンナは喉に変調をきたしてしまい、次作となる「BonVoyage」では、少し抑え気味な歌い方になります。その後もライブなどで「バカンスの恋」をパフォーマンスする際は音程を下げていました。

何が言いたいかというと、あの「バカンスの恋」は、アンナ自身があの頃にしか歌えなかった歌を等身大で歌いきっており、文字どおり「ここにいたこと」を記録に残しているわけです。

特に、曲終盤のアンナの高音部分は、2003年の夏のアンナにしか出せなかった声で「バカンスの恋は永遠にプロローグ」と歌っています。

彼女たちのキャリアの中でも、セールスとしても、大きく取り上げられることのなかった作品ですが、BON-BON-BLANCOは「バカンスの恋」という作品で一つの世界観を示しているのです。

これぞ「アイドルにしかできない仕事」といわずして、何がアイドルでしょうか。

タマフルでの再評価とは別で輝く「アイドル」BON-BON-BLANCO

2008年には、宇多丸さんのウィークエンドシャッフルで「バカンスの恋」が高い評価を受けています。しかし、時代の波に乗れず、2009年に活動を休止することになりました。

確かに、楽曲も良く、パーカッションのパフォーマンスも年々上達していたグループだったので、メンバーの脱退などもありましたが、何らかの形で仕事が舞い込んでいたのかもしれません。

しかし、それはもう「バカンスの恋」を歌っていた「2003年の夏にいた」BON-BON-BLANCOではなくなっていたでしょう。

僕たちのBON-BON-BLANCOは、まだパケット定額制がないガラケーの時代に、Youtubeもなく、深夜見ていたスペースシャワーTVから流れる「バカンスの恋」のPVで見た彼女たちなのです。

そう、まさに2003年の夏の時点で、「ここにいたこと」を体現し、その後のキャリアやセールスで評価が左右されない作品を残した彼女たちは、私の定義する意味での真の「アイドル」なのです。

それでは聞いていただきましょう。BON-BON-BLANCOで「バカンスの恋」!

コマーシャル

さて、今年の夏もまた85人の女性たちが読書感想文を書くそうです。
ナツイチ、AKBキャンペーン。彼女たちのひと夏の輝きを刻むように。

無頼派メガネでは彼女たちの読書感想文に対しての感想やレビューを、7月31日から8月31日にかけて行っていきます。

誰が選ばれるかは、完全に無頼派メガネ任せです。お楽しみに!

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-25.html

2013/07/24 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【エトジュン】『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』庵野秀明出演回

   ↑  2013/07/20 (土)  カテゴリー: エトジュン
7月20日(土)は、映画『風立ちぬ』の公開日である。原作・脚本・監督を宮崎駿が務め、主人公の声を庵野秀明が演じている。

今回は、鈴木敏夫によるラジオ番組『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』より、庵野さんをゲストに迎えた第119回と第120回を紹介しよう。

鈴木:僕は、誤解も与えますが、宮さん [ 宮崎駿 ] の一番すごい仕事って、やっぱり『ホルス』だと思うんですよ。最後のモブシーン。あれ宮さんだよね。いろんな人が縦横無尽に動く。それで空間がどんどん広がっていく。あれはちょっと舌を巻くんですよ。

庵野:宮さんのモブは本当にすごいですよね。


『ホルス』とは、監督・演出を高畑勲が、場面設計・美術設計を宮崎駿が務めたアニメ映画『太陽の王子ホルスの大冒険』のことであり、ジブリの原点となった作品である。

高畑・宮崎のコンビは、その後『ルパン三世(TV第1シリーズ)』『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』『風の谷のナウシカ』を生み出していくことになるが、彼らの作品を作る拠点としてスタジオジブリが設立されることになった。

その第一回作品が『天空の城ラピュタ』であり、厳密にはラピュタ以降がジブリ作品ということになるだろう。

鈴木:それで映画見るとね、高畑さんは一方で現実を映画のなかに入れようとするし、宮さんはその現実は置いといて。ところが映画作り始めると、宮さんは間に合わないと思ったらコンテを変えてでもその映画を完成させようとするっていう現実主義があるのよ。高畑さんは違うんだよね。

庵野:変えないですよね。


ここでいう「コンテ」とは、脚本をアニメにする際の設計図のことである。高畑さんは現実主義的な映画を理想主義的に、宮さんは理想主義的な映画を現実主義的に作っているようだ。

『かぐや姫の物語』が『風立ちぬ』との同時公開に間に合わなかったのも、高畑さんが理想主義的な作り方を貫いた結果なのだろう。

ところで、庵野さんは『風の谷のナウシカ』で巨神兵を描いたアニメーターである。

庵野:『ナウシカ』の打ち上げのときに[…]、宮さんが「人間なんてね、滅びたっていいんだよ!とにかくこの惑星に生き物が残ってれば、人間という種なんていなくなっても全然いいんだ!」っていうのを怒鳴ってるのを僕は横で聞いてて、この人すごいとそのとき思ったんですね。クリエイターとして宮さんが好きになった瞬間でしたね。


宮さんと庵野さんの関係はそれ以来続いており、宮さんの『もののけ姫』と庵野さんの『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版』が公開された1997年夏には「師弟対決」などともてはやされた。庵野さんが声優として起用された背景にも、師弟関係があったのだろう。

宮さんの『風立ちぬ』、高畑さんの『かぐや姫の物語』を楽しむためにも、ラジオ番組『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』はオススメである。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-23.html

2013/07/20 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【九森信造】『選挙』~汗をかかない代償~

   ↑  2013/07/17 (水)  カテゴリー: レコメンド
さて、今週の日曜日(21日)は、いよいよ参議院選挙です。

もう期日前投票を済ませた方も多いかもしれませんが、今回は参院選に向けて議論されていることを、映画を通じて考えてみたいと思います。


選挙 [DVD]


【あらすじ】

2005年秋、東京で切手コイン商を営む「山さん」こと山内和彦は、市議会議員の補欠選挙に自民党公認候補として出馬することになった。政治は全くの素人である彼の選挙区は、縁もゆかりもない川崎市宮前区。「電柱にもおじぎ」を合言葉に、小泉首相(当時)や自民党大物議員、地元自民党応援団総出の過酷なドブ板選挙が始まった。



アフター郵政民営化総選挙

本作は、山内さんと東京大学で同級生だった想田和弘の初監督作品。余計なナレーションなどもなく、公開された当時は、国内よりも国外で非常に評価が高く、逆輸入的に国内でも評判が高まりました。

私もリアルタイムで大学の授業で見たことと、映画館に見に行ったことを覚えています。今ほど、SNSが隆盛を極めていなかった時代でもあちこちで議論を巻き起こしていました。

ただ、多くの議論が小泉郵政民営化解散を反映してのポピュリズム批判に繋がることが多かったように思います。私もそういう見方をしていた一人でした。

逆に言うと、それだけ、あの2005年9月11日の狂乱は凄かったということです。

しかし、この映画、一度見て味が無くなる「ガム映画」でなく、噛めば噛むほど味の出る「たくあん映画」なんだと、今回あらためて気づきました。


「ネット解禁」、「若者の政治参加」論点で一層輝く映画

今回の参院選では、政策論争が盛り上がらないため、マスメディアが別の論点を出しており、あたかも今回の選挙の目玉のように扱われていることがあります。

それは「若者の政治参加」という問題です。

ネットにおける選挙活動が容認された初めての国政選挙ということで、各方面でも話題になっています。

投票率の低迷という問題とともに、若年層の投票率が低迷していることが問題視されてきました。特に昨年の12月の自民党の圧勝以降、各メディアでも若者の投票率低下が問題であるという取り上げ方が増えてきました。

しかし、映画『選挙』を見ると、問題はもっと根深いところにあると感じざるを得ません。


「汗を流しているのは誰か」問題

私も何度か、地方自治体の選挙のお手伝いみたいなことをしたことがあるので、映画の雰囲気はよくわかります。

候補者本人が演説で駆けずり回ることなどは選挙運動のほんの一部でしかなく、ハガキに宛名を書く、封筒にチラシを折り込む、後援会に勧誘する、演説会の警備計画を作る、友達や親戚にお願いに回る…

まさに「ドブ板」と呼ばれるべき活動が候補者の選挙活動、ひいては当選を支えているわけです。

それでは、その「ドブ板選挙」の担い手は誰なのか。

その答えは候補者の後援会です。では、後援会には誰がいるのでしょうか。

映画内で代表的だったのは、ボランティアで、選挙の応援をお願いするチラシを封筒に封入している高齢の女性でした。彼女は駅前で貸しビル業を営んでいるらしいです。

おそらく、候補者の後援会でボランティアをできる人々は、ある程度の富裕層に限られてくるのでしょう。

政党自身も、安定的な収入がない以上はこういう「ボランティア」の方々がいなければ、成立しない。まして、マンパワーの提供はもちろん、場所や資金を提供する地元の有力者も必要なはずです。


汗を流した対価、汗を流さない代償

最近、若者の投票率低下が高齢者層への優遇を生んでいるといいますが、心情的にはそれだけではないと思います。

自分が、運よく議員になった時に、駆け出しのころからハガキの宛名書きから何から何まで手伝ってくれた高齢者と、ネットで見たような資料を持ってきて過激な要求を突き付ける若者のグループ。

よほど、後者が理路整然と正しいことを言わない限り、心情的には前者の意見を聞くでしょう。まぁ、選挙で選ばれただけの議員が聖徳太子のような聖賢君主であれば話は別でしょうが。

「バカバカしい選挙運動」と考えている若者も多いと思います。それは立候補者自体が一番心得ていること。だからこそ、「バカバカしい選挙運動」でともに汗を流した人に気持ちが移るのは人情でしょう。

まとめると、自由に使える時間も安定した(不労所得という意味での)収入がない若者が「投票行動」だけを起こすことに本当に意味があるのかということです。

確かに、若者が関わらなくても政治が回ってきたという実態はあると思いますし、そこに甘んじているという事実もあるでしょう。「選挙」における若者不在の状況はその異様な時代性を表しているとも言えるわけです。

ですが、投票率の上昇≒若者優遇政治へのシフトなどという簡単な帰結はあり得ません。汗を流さない代償は確実にあります。


汗を流すモチベーション

単純すぎる帰結かもしれませんが、若者の政治参加を促すには、結局のところ、「身近に感じること」が大事なんだと思います。

高校の同級生が立候補したとか、友達のお姉さんが議員になったとか。若者自身が「リアル」だと感じる世界から、若者と政治の世界を繋ぐ人や問題が起こらなければ、変わることは難しいでしょう。

結局、ネット上で選挙運動を展開しても、LINEをいじっているときに出てくる邪魔な広告と同じ扱いで、スルーされるだけです。

映画本編で山内さんが東大の同級生と語らうシーンで

「本当は有名人になってから立候補しようと思っていたんだよ。(中略)でも、2000票ぐらいで地元なら受かるから、地元をしっかり回れば受かるかなぁと。切手コイン商もやりながら区議会議員が器かなぁと思って」


後援会や組織を持たずに選挙に出ようとしていた山内さんが頼りにしていたのは、地元という「リアル」な繋がりだったのです。


投票行動以外の政治参加という道

かといって、私は無秩序に様々な候補が乱立することを望んでいるわけではありません。

というか、「政治参加」=「選挙・投票活動」という短絡的な発想が、日本の弱点であると思っています。

地元のコミュニティー活動や役員、清掃活動などに「積極的に参加」することも一つの政治参加であると思っています。そこで見えてきた問題点や課題に対処することを考え始めた時点で、人は一人のプレイヤーになれるのですから。

投票行動に価値を与えるとすれば、数字の上では1票でしかない自分の票に、どのような質・価値を与えるのか。


自分の一票に価値を与える

それは、ただ、選挙の日に「投票行って外食する」だけでなく、「日常から思っている問題や疑問を自分の一票に色づけしなさい」という当たり前のことを教育してこなかったからこそ、政治に対する偏った考え方が支配的になり、投票率の低迷ということに正面衝突しているのでしょう。

参議院選挙の投票がまだの方は、ぜひ『選挙』のDVDを見て、あなたの一票に「どういう価値を与えるか」を考えていただけたらと思います。

ここで、コマーシャル。
7月6日より公開された続編『選挙2』が話題になっています。

あの山さんの一人の戦い、非常に興味深いです。見に行きたいなー。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-22.html

2013/07/17 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【エトジュン】『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』第40話

   ↑  2013/07/13 (土)  カテゴリー: エトジュン
『おジャ魔女どれみ』シリーズ第4作『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』より、第40話「どれみと魔女をやめた魔女」を紹介しよう。


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物語は、下校途中にある4本の分かれ道からはじまる。ひとつは藤原はづき(はづきちゃん)と瀬川おんぷ(おんぷちゃん)が帰る道、ひとつは妹尾あいこ(あいちゃん)と飛鳥ももこ(ももちゃん)が帰る道、ひとつは「MAHO堂」へと続く道、ひとつは「MAHO堂」への回り道である。

ある日、ひとりになった春風どれみ(主人公)は4本目の道を行くことにする。そして、ミライさん(魔女をやめた魔女)のガラス工房にたどりつく。

【ミライさんの発言】

「ガラスってね、冷えて固まっているように見えて本当はゆっくり動いているのよ。[…]ただし何年も何百年も何千年もかけて少しずつ、ゆっくりと。あんまりゆっくりなんで人間の目には止まっているようにしか見えないだけ。でも何千年も生きる魔女はガラスが動いているのを見ることが出来る。いずれ私もそれを見る」


ガラスは「人間の目には止まっているようにしか見えない」のである。

【ミライさんの発言】

「私ここを引っ越すの。ヴェネチアの知り合いがね、こっちに来て勉強してみないかって言ってきてくれたの。彼もうすぐ90なんだけど、彼にガラスを教えたの、実は私なんだ。[…]彼はいま私のことを昔好きになった人の娘や孫だと信じてる。だから私も彼が昔好きだった人の娘や孫を演じ続ける。魔女にはこんな生き方もあるのよ。分かる?」


なるほど、魔女は「人間の目には止まっているようにしか見えない」のである。

ところで、どれみはちょうど将来について悩んでいた。

【どれみの発言】

「あたしも何か得意なものがあればなあって。[…]あたしだけ、どうしていいか分からなくて。何にも見えなくて」


ミライさんは「魔女になること(人間ではなくなること)」を誘う。

【ミライさんの発言】

「あなたは人間でまだ魔女見習い。魔女の世界を知っているようで実はガラス越しにしか見ていないようなもの。でも、もしその先を見てみたいなら、ヴェネチア、私と一緒に来る?どれみ、私と一緒に来る?」


そうして、どれみはある決断を下すことになる。

本作は「魔女になること(人間ではなくなること)」に向き合う話なのだ。

さて、筆者が着目したいのは、どれみたちが国語の授業で梶井基次郎の小説『檸檬』を読んでいたことである。

【先生の音読】

「『あ、そうだそうだ』そのとき私は袂の中の檸檬を憶い出した」


参考までに『檸檬』の一節を読んでみよう。

「一体私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。」


「絵具を固めたような色」をした檸檬の時間は止まっているように見える。筆者の考えでは「どれみ」におけるガラスは『檸檬』における檸檬である。

ところで、魔女のメタファーとしてガラスを用いている本作では、映像の面でもガラスの表現が充実している。その演出を手掛けたのは、巨匠・細田守である。

「どれみと魔女をやめた魔女」は、シリーズの最高傑作だといえるだろう。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-6.html

2013/07/13 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【九森信造】『容疑者Xの献身』~石神は他人事じゃない~

   ↑  2013/07/10 (水)  カテゴリー: レコメンド
現在『真夏の方程式』が公開されているガリレオシリーズ劇場版の第一作。


容疑者Xの献身 スタンダード・エディション [DVD]



[あらすじ]

花岡靖子(松雪泰子)と娘・美里は、どこに引っ越しても疫病神のように現れ、暴力を振るう元夫・富樫を大喧嘩の末に殺してしまう。今後の成り行きを想像し呆然とする母子に救いの手を差し伸べたのは、隣人の天才数学者・石神(堤真一)だった。彼は自らの論理的思考によって二人に指示を出していく。


このあらすじを見ていただいてもわかるように、この映画の主演は、堤真一と松雪泰子の2人です。

ネット上や映画評論などでもこの2人の演技のうまさ、そして「落ちぶれた天才数学者の孤独」みたいなことで書かれています。

[堤真一が過去に演じた数学者と比較]

さて、堤真一が演じた数学者といえば、私は『やまとなでしこ』の中原欧介を思い出します。しかし、中原と石神は同じ数学者でありながら、取り巻く環境や人生そのものが全く違います。

2人の違いを端的に表すとしましょう。

・中原(やまとなでしこで堤真一が演じた数学者)

大学(慶応大学をモデルにした私立大学)卒業後、MITに留学ののち挫折。父親の死もあり、実家の魚屋を母と二人で切り盛りする。自分が魚屋で働いていることをコンプレックスに感じ、桜子(松嶋菜々子)に医者であると偽る。

・石神(容疑者Xの献身で堤真一が演じた数学者)

大学(京大を意識した旧帝大)を学部で卒業後、家族の面倒を見るために、教職の道へ。現在、アパートで独り暮らし。靖子を意識することで、自らの容姿にコンプレックスを抱く。


同じ月9のフジテレビのドラマですが、作品が違えば演じる役柄も全く違うということが分かるかと思います。

さて、堤真一が演じるこの2人の役柄の差はなんなんでしょうか。中原にはあって、石神にはないもの。それは「熱を持った人間関係」です。

石神の生活は至って単調なものです。彼のアパートには娯楽や趣味を彩るようなものが一切なく(登山ぐらいでしょうか)、人のにおいも感じられません。

また、湯川(福山雅治)が石神の学校に行った際、職場の先生は「午前休はよくとるんですよ」とまったく意に介さず、逆に少し迷惑そうに言い捨てます。

ある意味では、彼の周りには、記号としての人間しかおらず、「熱を持った人間関係」が存在していなかった。確かに、「熱を持った人間関係」を持たないことは煩わしさから解放してくれますが、同時に石神に対して、「生きている実感」を失わせていきます。

彼がある大きな決意をしようとした際に、隣に花岡親子が引っ越して来ました。彼女たちは、石神の人生で久しぶりに現れた「熱を持った人間」だったのです。

[熱を帯びない人生の無味乾燥さ]

確かに、石神の感情は極端に一方通行でした。彼は「雪山」に閉じこもっているのと同じです。

しかし、花岡親子と一定の距離を保ちながらも適度な接触を図っていくことで、生きるためのバランスを保っていたのでしょう。こう考えると、石神の取った冷酷かつ残虐な行動の意味もわかってきます。

石神にとって、花岡親子を失うことは人生の熱を奪われることと同じでした。そう、彼は花岡親子を守るため、そして、彼の人生の熱を守り、例え投獄されても、生きている実感を守り続けるために献身的な行動を行ったのです。

[煩わしさを排除するかまってちゃん達]

さて、このような石神の行動は「レアなケース」と観衆は割り切っていていいのでしょうか。

映画の公開当時は、2008年。ちょうど、リーマンショック前後で東日本大震災も起こっておらず、スマフォもツイッターもラインもこんなに普及していなかった。その頃は、きっと石神のような「孤独」を味わっている人々も多かったと思います。

その「孤独」は技術革新と共に、新たに生まれた「なめらかなつながり」のせいで、また人々の忘却の彼方へと追いやられたのでしょう。

しかし、それは追いやられただけでいつでも出てくるチャンスをうかがっています。ラインの既読制度などはまさにこの「孤独」を抑え込むためのシステムの抵抗ともいえるでしょう。

結局、WEBで新たなつながりを求めていく姿勢は、本来「熱を持った人間関係」が持つ煩わしさを排除して、「孤独」を誤魔化していることに相違ないのです。

[運命を共有するつながりを]

Webの容易なつながりで得られる熱を「偽熱」とでも呼びましょうか。石神の知った「熱」は「偽熱」とは大違いなんです。それ故に、花岡親子のために、彼は人生をかけた決断をします。「偽熱」のためにはそこまで出来やしません。

最後のシーン、松雪泰子演じる花岡靖子は、ある決断をします。その決断は、石神の価値観や人生観を大きく引っくり返すものでした。

いうなれば、彼女の「熱」が石神という「雪山」にまるで、春を告げる太陽のように差し込んだわけです。石神の涙は、彼自身のこころの「雪解け」だったのかもしれません。

いわゆるハッピーエンドなのかもしれませんが、それは同時に靖子と石神が運命共同体になり、煩わしさも共有することを選択したということです。

「偽熱」でつながった人々の関係は、運命を共有することはあり得ません。どこまでいっても人々は「孤独」でしかないのです。

願わくば、僕たちにもよく似た、日本中の石神たちに、「熱を持った人間」との縁があらんことを。

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【京大研志会】日本の思想(第四章)

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【京大研志会】日本の思想(第三章)

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【京大研志会】日本の思想(第二章)

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【京大研志会】日本の思想(第一章)

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【京大研志会】日本辺境論(第一章)

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【京大研志会】ブックガイド

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ブックガイド

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【エトジュン】日本の戦後

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Microsoft Word - 日本の戦後

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【エトジュン】失敗の本質

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Microsoft Word - 失敗の本質

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【雑誌読書会】細田守

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【雑誌読書会】ルパン三世

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ルパン三世

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【雑誌読書会】ブルータス&広告

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【雑誌読書会】スターウォーズ

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スターウォーズ

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【エトジュン】著作集Ⅰ

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