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【九森信造】瀬戸内寂聴『ひとりでも生きられる』【秋元才加】

   ↑  2013/08/28 (水)  カテゴリー: ナツイチ
秋元才加は、AKBであることよりも、彼女の名前よりも、彼女自身の見た目や言動の方が際立っているのかもしれない。

いいとものレギュラーなどマスメディアへの露出だけでなく、2期生中心のチームK創生期のリーダーとして君臨した。

そんな彼女が、本日2013年8月28日、AKBを卒業する。

彼女が2期生として活動を始めたのは2006年のことだった。首相はまだ、小泉純一郎氏であり、リーマンショックも東日本大震災も起こっていない時代だった。

1期生と2期生は、常日頃から先の見えない自分たちの人生を切り拓くためにも、アイドルを、いやAKBを世間に知らせ、認めさせる戦いの中に身を置いていた。

その戦いは、孤独を感じながらの仲間との共闘であっただろう。

2011年に公開された「Documentary of akb1」で、前田敦子はこう語っている。

「最近すごい思うのが、テレビとかニュースをふと見たとき、自分が知らないところで他の子が何かをやっていることがありますね。例えば、AKBが何か賞をもらっても、自分はほかの撮影をしていて、他のメンバーがもらっているということがあります。」


2000年前後にモーニング娘。にはまり、BONBONBLANCOでアイドルを離れた私が、再びアイドルの世界に戻ってきたのは「(AKB48)」のせいである。

私の知る限り、前田敦子、篠田麻里子、板野友美、そして秋元才加といった面々は、ピンで何らかの番組や企画に参加してするときは、常に名前の後ろに「(AKB48)」という看板を背負っていた。

私のように、彼女たちを入り口にして、AKBという現象に巻き込まれていった人も少なくないに違いない。

確かに、リーマンショック以降、日本全体で広告宣伝費が削減され、手ごろに利用でき、なおかつ商品購買を促す能力の強いタレントとしてAKBに白羽の矢が立ったことは間違いないであろう。

それでも、彼女たちの悪く言えば貪欲、よく言えば懸命なパフォーマンスや活動の上に、今日のAKBが成立していることは疑いようがない。

そして、上にあげた4人のうち、前田敦子が昨年の夏に卒業し、そして、まるでタイミングを合わせたように、残りの3人がこの夏に卒業していく。

間違いなく、AKBの一つの時代が終わるのだ。


ひとりでも生きられる (集英社文庫)


秋元才加はこんなことを書いている。

「『人は別れるために出逢う』文字だけを見ると、出逢う前から別れを意識しながら人と出逢うのか…と少し寂しく思う人も居るはずだ。それは、違う。この言葉は、愛が無くては生きていけないが、滅びることのない愛もまた存在しない。」


これを読んだ私たちは、彼女がAKBに対して「やり切った感」を持っているのではないかと感じざるを得ない。

今までは、AKBの看板を背負ったメンバーのパーソナリティやキャラクターが認められ、世間がAKB現象を認め、巻き込まれていった。

だが、もはやその必要はない。AKBは世間の大きな部分を占めるようになり、私たちは彼女たち無しの日常を思い出すことができなくなった。

さて、秋元才加は、今までのAKBの自分から脱却しようとしている。

「私はまだ傷付くのが怖い。情熱を持って愛にぶつかる事が出来ない。どんな結果であっても、一つ一つを自分の養分に出来るような、そんな女性でありたい。その上で、愛される事で見つけられる自分の中の女を、自分で馬鹿だなあと少しあきれつつも思う存分味わいたい。」


AKBの秋元才加ではなく、ただ一人の女性タレントとして、受け入れられることもあれば、逆に無視されることもあるだろう。

そうして、与えられる賞賛や批判、すべての愛情の中で、彼女自身が彼女自身であることを誇れる日が来るのかもしれない。

旅立つ彼女に多くの言葉はいらない。私の5回に渡ったレコメンドもそれぞれが、感想文を書いた彼女たちへの送る言葉であった。

しかし、彼女たちの戦友の言葉に勝るものはなかろう。

先ほどあげた、「Documentary of akb1」の前田敦子の言葉を最後に引用する。

「AKBで居続けられる間は居続けていたいけど、AKBのみんなの最終目標は、AKBからどう羽ばたいていくかということなので。AKB48という名前が無くてもどれだけやれるかというのが勝負だと思う。」


AKBから羽ばたく選択をした、功労者である彼女たちのキャリアに多大なる幸あらんことを。

何より、無頼派メガネにAKBのベンチマークを与えてくれたことを感謝しながら、静かな部屋に、RIVERの音楽と共に響く、タイピングの手を止める。

【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】秋元 才加の課題図書「ひとりでも生きられる」の読書感想文はこちら!

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-38.html

2013/08/28 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【エトジュン】内田義彦『読書と社会科学』を読む

   ↑  2013/08/25 (日)  カテゴリー: エトジュン
内田義彦の『読書と社会科学』(岩波新書、1985年)を紹介します。


読書と社会科学 (岩波新書)


読書と学問(社会科学)について考えたとき、ふと思いつくのは、どの学問にも「古典(×古文・漢文)」と呼ばれる本が存在することです。それは、時代を経るなかで読み継がれてきた古い本だから、古典と呼ばれています。

では、古典が読み継がれてきたのはなぜでしょうか。時代を超えて通用するのはなぜでしょうか。本書を使って解答してみましょう。

まずは、本について、それは著者の思考の枠組みが著されたものだといえます。したがって、読書はそれを追体験する営みだといえるでしょう。

ここでいう「思考の枠組み」とは、世界を認識するための装置として頭のなかに組み立てられるもの、つまり「ものごとをどのように捉えるか」という方法論のことです。

たとえば、自然科学の研究者が顕微鏡などの「物的装置」を用いて自然現象を見つめているように、社会科学の研究者は「思考の枠組み(概念装置)」を用いて社会現象を見つめています。

社会というぼんやりとした対象を観察するには「社会をどのように捉えるか」という方法論(思考の枠組み)が必要なのです。

ところで、知識が時代とともに変化するのに比べ、思考の枠組み(ものごとの捉え方)は時代を超えて通用するものだといえます。

古典が読み継がれてきたのはズバリ、優れた思考の枠組みを備えているからなのです。より正確にいえば、優れた思考の枠組みを備えた本が読み継がれ「古典」になるのだといえるでしょう。

それでは、古典の話を応用して、大学での学びについて考えてみます。

まず「学問(社会科学)」とは何か。それは、自分で提起した問題に対し、古典として著された「思考の枠組み」を応用して考えてみることです。

たとえば、大学の一年生はたいてい「基礎○○学」や「○○学概論」などの授業を受けますが、あれはその学問の古典は何か、つまりその学問が使ったり応用したりしている思考の枠組みがどのようなものかを教える授業なのです。

そして、一年生の時に身につけた思考の枠組みを自分の研究対象に応用したり、その対象に合わせて変形したりすることを通して、自分なりの「ものごとの捉え方」を体得するのであり、その過程こそが大学での学びだといえるでしょう。

本の紹介といいつつ、書評らしくない文章になりました。筆者は、自分で提起した問題に対し、読書論の古典『読書と社会科学』を使って考えてみたのです。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-36.html

2013/08/25 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【九森信造】製作委員会『いつか、君へ Boys』【前田亜美】

   ↑  2013/08/21 (水)  カテゴリー: ナツイチ
「ナツイチ勝手にタイアップ企画」では、5作品を紹介する予定だが、実は、この作品だけ決め方が特別である。

一番初めに紹介した高城亜樹の作品を見ていただければわかるように、読書感想文が発表される前からあらかじめ、紹介するメンバーや作品を決めていた。

それに対して、この前田亜美ことあーみんの作品だけは、あーみんの読書感想文を見て、取り上げることに決めた。


いつか、君へ Boys (集英社文庫)


前田亜美と言えば、モデルを思わせるスタイルに対して、いまどき珍しい、太眉毛、そして何より、AKBの絶対的センターであった前田敦子と苗字が同じということもあり、早い段階からAKB関連のメディアで登場していた。

期間限定とはいえ、AKBのほぼ全員の感想文を読破しているが、やはり強烈な印象をもったのは、彼女の感想文におけるカミングアウトである。

「私の家もシングルマザーです。」


彼女の本は短編集であり、その中の一つを彼女が選んだ。その内容は、自分が生まれると同時に父親を亡くした息子と、その母親の関係性を綴ったものであった。

間違いなく、あーみんは自分の境遇と照らし合わせたに違いない。

本編は、父親の死を乗り越える為の儀式のような旅行として、母親に同行する息子の視点で描かれている。

ただし、あーみんと本編の主人公の大きな違いは、生き別れと死に別れという点である。

あーみんは自分の家族に対してこう語っている。

「私は会おうと思えばいつでも両親に会えます。けれど家にいるのはママだけ。でも私は不幸に感じたことはありません。」


対照的に、本編の主人公は家族に対してこう語っている。

「母がいまだに正喜さん(筆者注:主人公の父親)のことを想っていることは、そしていまだに悲しみが癒えていないことは一緒に暮していれば、痛いほどにわかる。(中略)表面上は笑ったりする。でも、心からの笑顔でないことを僕は知っている。」


主人公は、声や感覚では知りえない父親を、母親の悲しみの中に見出す。

ここで、あーみんは別の切り口から新たな視点を提供してくれます。

「将来、娘たちみんなが新しい家族を作ったら“ママは一人かな?”と心配してるときもあります。でも、あみはママに幸せになってほしいから好きなようにしてほしいです。一緒にいれるならママと一生一緒にいたい。再婚したら正直、新しいお父さんと仲良くなれるかわかりません。」


いずれ、本編の主人公も、あーみんも自分たちの両親がそうして来たように、大切な人を見つけ、新たな家庭を築いていくかもしれない。

その時、母親はひとりで生きていけるのだろうか。もちろん、そのような選択をする人もいると思う。

本編の母親の言葉を借りてみよう。

「ママはこれから先も、生きていかなくちゃいけないから。人はひとりじゃ生きていけないってことが、はっきりわかった。もちろん、ママには薫(筆者注:主人公)がいてくれるけど、親子とは、少し意味が違うのよ。」


本編のママの感覚であれば、生き別れる、つまり死別ではなく、選択的な離婚がどうして起こりうるのかわからないであろう。

こう考えると、選択的な離婚は若さゆえの過ちなのかもしれない。

若いころは、何でも一人でできると思う。明日、突然様態が急変して、電話も掛けられない状況に陥るなどと考えることもない。

「相性があわない」「価値観が違う」

それは、一人になるための後付けでしかないのではないだろうか。そんな理由が成立してしまえば、結婚に踏み切ること自体が「若さゆえの過ち」と扱われてしまいかねない。

結婚適齢期が遅くなっているのは、相対的に高齢化社会を迎え、「若さ」の定義が揺れていることと無関係ではない。

あーみんの職業はアイドルである。

アイドルとは刹那であり、永遠である。

彼女がいずれ築くであろう家庭が、平穏であることを願ってやまない。

【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】前田 亜美の課題図書「いつか、君へ Boys」の読書感想文はこちら!

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2013/08/21 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【九森信造】谷瑞恵『思い出のとき修理します』【松井珠理奈】

   ↑  2013/08/14 (水)  カテゴリー: ナツイチ
『思い出のとき修理します』を読んだ松井珠理奈ことじゅりなは、松井玲奈とともにSKE48の双璧を成す。

人呼んでJR松井だが、多くの人はこの2人を仮想姉妹と見なす。その場合、姉の玲奈はおしとやかで、おとなしいのに対し、妹のじゅりなはおてんばのしっかり者として捉えられる。

その設定は作品選びにもよく表れており、姉の玲菜が背景的にも内容的にも重厚な『人間失格』を担当したことに対し、じゅりなは比較的取り組みやすい『思い出のとき修理します』を取り上げている。


思い出のとき修理します (集英社文庫)


内容的には、過去に傷を持った、時計修理屋のシュウと美容師の明里が商店街の人々と触れ合う中でそれぞれの過去に決着をつけていくという物語。

しかし、その物語を読んだ感想として、じゅりなはこう端的に述べている。

わたしは、「思い出のとき修理します」というこの本のタイトルを見たときに、思い出は修理できるのだろうか、修理したい思い出とはどんなものなのか、興味をもちました。


じゅりな自身の過去をさかのぼった場合に「修理しなければいけない思い出(壊れている思い出)」がないということだ。

本作では、いずれの登場人物も事情によって過去とまっすぐに向き合うことができずにいる。

「向き合うことができない(壊れている)」から「改めて向き合う(修理する)」のである。

だからこそ「思い出を修理するお手伝い(一緒に向き合う人や出来事)」が必要になるというわけだ。

本作自体の出来云々は置いておくとして、商店街が舞台となっているのは、そこに過去と向き合うための時間とつながりが存在しているという前提と、逆に都市化した空間ではそのような時間もつながりも得ることができないという前提を、読者が共有しているからだろう。

じゅりなはこう結論する。

不思議な出来事なんですが、心温まる結末で優しい気持ちになれました。
もしかしたら、自分の近くにもこんなことがあるかもしれない。
いや、あったらいいなと思いました。


名古屋という大都市の寵児じゅりなも、上で挙げたような前提を共有し、この作品から、かつてあったような気がする理想的なコミュニティの温度感を感じたのかもしれない。

一つ間違えれば、安っぽい恋愛SFラノベと捉えられかねない本作をそのような作品として昇華させ、感想を述べた、じゅりなの感性に敬服するばかりである。

【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】松井 珠理奈の課題図書「思い出のとき修理します」の読書感想文はこちら!

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【エトジュン】丸山真男『日本の思想』を読む

   ↑  2013/08/11 (日)  カテゴリー: エトジュン
丸山真男の『日本の思想』(岩波新書、1961年)を紹介します。


日本の思想 (岩波新書)


第Ⅰ章「日本の思想」の問題意識は、日本の思想と呼ぶべきものが体系的に整理されて来なかったことに置かれています。丸山は「思想が蓄積され構造化されることを妨げてきた諸契機」を挙げ、その原因を明らかにしていきます。

また、明治以降に「日本人の精神的なよりどころ(國體)」の機軸を担った近代天皇制について論じ、それを創り出した日本人の精神(日本の思想)を浮き彫りにしていきます。

ここで重要なのが「官僚的思考様式(理論信仰)」と「庶民的思考様式(実感信仰)」の対立です。さらに、マルクス主義の受容をめぐって「社会科学的発想(理論的)」と「文学的発想(実感的)」が対立したことを挙げています。

そうして、これらの異質な思想どうしが本当に交わらずに、ただ空間的に同時存在している「雑居性」こそが日本の思想の問題点だと指摘しています。

また、丸山は「雑居」は「雑種」にまで高められる必要があり、そのエネルギーは強靭な自己制御力をもった主体なしには生まれないのだと述べています。

第Ⅱ章「近代日本の思想と文学」では、文芸復興期(1930年代前半)における「文学主義と科学主義」という論点の背景として、プロレタリア文学理論の時期(1920年代前半~1930年代前半)における「政治的なるものと科学的なるもの」の関係を探っていきます。

いわゆる「政治と文学」の問題に「科学」を付け加えることで、日本の思想のすがたを明らかにしようとする試みです。

ここでもやはり「科学主義(理論的)」と「文学主義(実感的)」を対立させる枠組みが用いられており、それらの根本的な結合を目指すべきだというのが丸山の主張なのです。

第Ⅲ章「思想のあり方について」では「タコツボ」という概念が登場します。タコツボとは、それぞれの集団が独立して存在し、交流をもたないことの比喩です。

丸山は、日本ではイメージ(ステレオタイプ)の横行が起きやすいという問題を提起し、その理由として、近代以降に西欧から取り入れられた社会組織が「タコツボ型」であったことを挙げています。

タコツボ型の組織どうしの間には交流がないため、相手に対するイメージがどうしてもステレオタイプ的になってしまうのです。

日本の組織のタコツボ化は「ムラ社会」のような前近代的なものの発現として捉えられがちですが、丸山はそれを近代的な機能分化の発現として捉えています。

第Ⅳ章「『である』ことと『する』こと」では、近代化のプロセスを「である」論理から「する」論理への相対的な重点の移動として説明しています。

「である」論理とは、ものごとの静的な状態を重視する態度のことであり、「する」論理とは、ものごとの機能と効用を問い続ける動的な態度のことだといえます。

丸山は「民主主義の永久革命論者」を自称していましたが、彼にとって民主主義は「する」論理に属するものでした。

しかし、日本の民主主義は西欧から「である」もの(目指すべき状態)として輸入されたものであり、その原理を「する」論理として受け入れた人間は限られていました。

また、日本では国民が自分の生活や実践のなかから制度をつくった経験が乏しいため、官僚的思考様式(理論信仰)によって定められた「制度」が、庶民的思考様式(実感信仰)の「精神」と対立するのだと述べられています。

『日本の思想』は現代にも通用する古典的名著だと思いました。加藤周一が「雑種」について言及した「日本文化の雑種性」も読みたいです。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-32.html

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【エトジュン】サン=テグジュペリ『星の王子さま』【島崎遥香】

   ↑  2013/08/10 (土)  カテゴリー: エトジュン
島崎遥香さんが『星の王子さま』の読書感想文を書いている。

「この物語に登場するきつねの言葉が私はとても好きです。きつねが言っていた通り街を歩いてみたらすれ違う人々はその他、何十万人もの人に違いないけれどもし、そのすれ違った人と何かのきっかけで友達や家族になれたら、関わりを持てたらその人は私にとって特別な人に変わるはずです。」

【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】島崎 遥香の課題図書「星の王子さま」の読書感想文はこちら!


今回は「その他」と「特別」に着目して『星の王子さま』を読むことにしよう。


星の王子さま (集英社文庫)


王子さまの星には、ふたつの活火山とひとつの死火山、そして花びらが一重のあっさりした花しかなかった。ところがある日、それまでなかった木が芽を出し、やがてバラの花が咲いた。

「この花があまり謙虚な性格ではないことに王子さまは気づいたけれど、それも無理はないと思わせるほど彼女は美しかった!」


バラは「バラであること」によって特別になった。バラは「その他(バラではないもの)」と比べて特別になったのである。

それからというもの、王子さまは何でもバラの言う通りにしたが、バラの言葉にはトゲがあった。

「そんな風にして、愛しているし何でもするつもりでいるにもかかわらず、王子さまは彼女を少し疑うようになった。あまり意味のない言葉をいちいち真剣に受け止めては辛い思いをした。」


そうして、王子さまは星を出て行くことにした。

星めぐりをはじめた王子さまは、地球という星を知った。地球に行くとき、王子さまはバラのことを考えていた。

「ぼくの花ははかないんだ、と王子さまは考えた。世界から身を守るために、たった4本のトゲしか持っていない!それをぼくはひとりぼっちで置いてきた!」


王子さまは、トゲのある言葉に隠されたバラの弱さに気付いたのである。

さて、地球に降り立った王子さまは「バラたち」に出会う。そこでは「バラであること」によって特別になることはできない。では、王子さまのバラは特別ではないのだろうか。

そんなことはない。王子さまのバラは「王子さまのバラであること」によって特別なのだ。王子さまのバラは「その他(バラたち)」と比べて特別なのである。

また、王子さまのバラであるということは、王子さまに「飼い慣らされた」バラであるということだ。「飼い慣らす(アプリボワゼ)」とは、絆を作るという意味である。

「ぼくは何もわかっていなかった!言葉じゃなくて花のふるまいで判断すればよかったのに。[…]でもぼくも若かったし、彼女の愛しかたがわからなかったんだ」


そうして、王子さまはバラとの関係をやり直すために星に帰ることにした。

『星の王子さま』は、特別な人の特別さに向き合う物語だといえるだろう。

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2013/08/10 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

【九森信造】太宰治『人間失格』【松井玲奈】

   ↑  2013/08/07 (水)  カテゴリー: ナツイチ
処女性を感じさせる人間失格

『人間失格』を読んだ松井玲奈は「SKEのかすみ草」といわれる、清楚なイメージを抱かせる存在である。

ある意味、AKBの20代のメンバーの中で、処女性(実際問題は別にして)を最も感じさせる女性であると、私は勝手に思っている。

そんな彼女の感想文はこの一節から始まる。

「神様みたいないい子でした。」と締められるこの「人間失格」タイトルからはこんな締めの言葉になるとは一瞬も思わなかった。


玲奈は「神様みたいないい子」という言葉は、周囲の人々からの褒め言葉だととらえている。だが、その褒め言葉の代償として、登場人物の葉蔵と自らを重ね合わせてこう語っている。

確かに葉蔵は酒に溺れ、多くの女性と関係を持ち、恥の多い生涯を送っていたのかもしれない。しかし、周りから見れば彼は「神様みたいないい子」だったのだ。

(中略)

とにかく人の為に動いているようにいい人を演じていた。そんな自分を心の中で恥じて生き続けた結果が、他人と自分の印象のズレにつながったのだろう。

この本を読んで、私も周りの目を気にして自分が思っていることは口にせず、当たり障りのない言葉を口にして自分を守ったことがあった。


冒頭に、彼女のことを処女性を最も感じさせると書いたが、それと同時に、彼女はギャップの激しいキャラクターである。

肉が食べられないにもかかわらず、激辛料理は食べられる。そこから、AKBの学芸会的ドラマ「マジすか学園1・2」では2作連続で、ゲキカラというサイコなキャラクターを演じ、その白い肌に生える流血シーンを展開している。

彼女のことを知れば知るほど、「神様のようにいい子」ではないことがよくわかる。

神様は人間失格

私は、人間失格の最後の一節を読んだ後、浜崎あゆみのBoys&Girlsの歌詞の一節を思い出した。

本当は期待してる
本当は疑ってる
何だって 誰だってそうでしょ
”イイヒト”って言われたって”ドウデモイイヒト”みたい


人から期待された反応を汲み取り、期待された通りの言動しか起こせない人格は、”ドウデモイイヒト”なのかもしれない。そして、神様になれるはずのない人間が「神様のようにいい人」と言われた瞬間、「人間失格」になるのかもしれない。

コミュニケーションから生まれる「イイヒト」

しかし、受け手にも責任があるかもしれない。

玲奈は感想文をこう締めている。

神様にはなれないけれど、人の本当の気持ちが少しでも汲み取る事ができる、そんな人に、私はなりたいと思った。


「イイヒト」を演じるのは本人だが、それは受け手によって作り出される幻想なのかもしれない。だから、玲奈のように「少しでも汲み取る」ように努力したい。人間合格は受け手の側から始まるのかもしれない。


人間失格 (集英社文庫)


【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】松井 玲奈の課題図書「人間失格」の読書感想文はこちら!

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【エトジュン】朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』【横山由依】

   ↑  2013/08/03 (土)  カテゴリー: エトジュン
横山由依さんが『桐島、部活やめるってよ』の読書感想文を書いている。

「ただ、自分というものは変えられると私はAKB48に入ってわかりました。[…]くっきりとした課題とやりたいこと、それを乗り越えたいという気持ちで毎日が充実したと感じます。」

「そういう日常での小さな出来事の積み重なりが自分というものを形成して、更には自分というものを変えていくんだなと思いました。」

【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】横山 由依の課題図書「桐島、部活やめるってよ」の読書感想文はこちら!


まとめると「自分」は「日常での小さな出来事の積み重なり」によって形成されるから「変えられる」ということだ。「毎日が充実」すれば自分も変わるというわけである。

今回は「毎日が充実」ということに着目して『桐島、部活やめるってよ』を読むことにしよう。


桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)


主な登場人物は、小泉風助(バレー部)、沢島亜矢(吹奏楽部)、前田涼也(映画部)、宮部実果(ソフト部)、菊池宏樹(?)である。

なかでも宏樹は「毎日が充実」しているように見える。彼女の沙奈は言う。

「宏樹超かっこよかった!サッカーもうまいんやね!てかやっぱ竜汰くんとか友弘くんとか、宏樹といつも一緒の男子ってかっこいいよね」


宏樹はいわゆる「リア充(リアルタイムが充実している人)」なのだ。放課後を彼女や友達と過ごし、リアルタイムを共有することで充実させている。

「たぶん、俺はうまくやっていける。騒ぐのが好きなお洒落で目立つ友達に囲まれて、クラスでも一番『上』のグループにいて[…]、彼女の沙奈だってそれなりにかわいい。」


それに対し、映画部の前田はどうだろうか。

「僕は映画部に入ったとき、武文と『同じ』だと感じた。そして僕らはまとめて『下』なのだと、誰に言われるでもなく察した。」


なるほど、宏樹は「上」で、前田は「下」だ。では、前田は「毎日が充実」していないのだろうか。そんなことはない。

「僕らには心から好きなものがある。それを語り合うときには[…]、世界が色をもつ。」


前田は「心から好きなもの」によって「毎日が充実」しているのだ。

さて、物語のクライマックスは、宏樹と前田が出会う場面である。前田的な充実を突き付けられたとき、宏樹は何を思うのだろうか。

とはいえ、『桐島、部活やめるってよ』は「スクールカースト(教室内ヒエラルキー)」の「上」と「下」が対決する物語ではない。「日常での小さな出来事の積み重なり」によって、宏樹が変わっていく物語である。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-29.html

2013/08/03 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |