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【九森信造】前田敦子の大きなけじめ、大島優子の小さな復讐

   ↑  2014/01/08 (水)  カテゴリー: 九森信造
2013年の紅白歌合戦では、大島優子がAKBからの卒業を発表しました。

この2年間で、AKBを創設当初から支えてきたメンバーの大部分が卒業し、今回の卒業発表も世代交代を象徴する出来事となりました。

この記事では、前田敦子と大島優子の卒業を比較することで、2012年3月から2013年12月までのAKBを論じてみたいと思います。

結論から言えば、前田敦子の卒業は「大きなけじめ」であり、大島優子の卒業は「小さな復讐」だったのではないでしょうか。


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女神たちの集大成と人身御供:前田敦子の場合

東日本大震災が起こった2011年、誤解を恐れずに言えば、彼女たちは女神のような働きをしていたと思います。詳しくは『Documentary of AKB 2』に描かれていますが、テレビ番組を賑わせただけではなく、被災地でのイベントを毎月開催していました。

しかし、女神たちは壁にぶつかります。恋愛禁止ルールを逆手に取られたスキャンダル、総選挙によるプロモーションへの批判。その女神の顔であり、常に批判の中心に据えられたのが、前田敦子だったといえるでしょう。

『Documentary of AKB 2』で、彼女は印象的なことを語っています。

「私たちっていったい、何と戦ってるんでしょうね」


その一方で、世間はAKB無しでは成り立たない状況になりました。朝から晩まで彼女たちを見ない日はなく、雑誌からインターネットに至るまで、彼女たちのいないコンテンツを探す方が難しくなりました。

AKBと無頼派メガネのナツイチタイアップ、秋元才加編でも書きましたが、AKBの歴史の大部分は、オワコンになったアイドルを世間に知らしめる戦いでした。その世間が、彼女たちを批判しつつ、中心に据えるようになったのです。

そんなAKBの最後の目標は、東京ドームでの単独公演でした。その夢の実現を直前に控えた2012年3月25日、前田敦子は卒業を発表します。ある意味では、AKBの夢を達成するための「大きなけじめ」、少々大げさな言い方をすれば「人身御供」だったのかもしれません。

夢を叶えた後の壁:AKBのアイデンティティ

東京ドーム公演を終えた翌日、前田敦子は卒業しました。その後、AKBにとって壁になったのは、大きくなりすぎた彼女たち自身でした。

恋愛禁止ルールは戒律のように扱われ、博多への「左遷」、活動辞退、はたまた坊主にしての謝罪など、ワイドショーを連日賑わせ、AKBファンではない層にまで物議を醸すムーブメントとなりました。

一方で、世間が求める矛盾も明らかになります。恋愛スキャンダルで取沙汰され、AKBの世界観を良くも悪くも崩壊させた指原莉乃が、総選挙で1位になったのです。このことをどう捉えるべきでしょうか。

私は、世間という大きな装置の前にAKBがAKBではなくなってしまったのだと考えています。

それでは、AKBとは何でしょうか。大島優子の発言から考えてみましょう。これは、古参のファンに向けられた言葉だと思います。

「私は、秀でた才能も無いですけれども、ただただ、何事も全力で笑顔でやってきたことが、実になって、その実にみなさんが水をかけてくれて、太陽のような光をあびさせてくれて、咲くことができています。いつまでも太陽のような存在でいてください。」


2009年に発刊されたQuick Japan vol.87で、戸賀崎支配人が以下のように語っています。

「僕の仕事のひとつは、ファンの声を集めるってことですね。(中略)

MVP制度を秋元さんがやろうって言って、僕が舞台に出て行って言ったんですよ。そうしたらその後、お客さんから『応援の方法には人それぞれのやり方があるでしょう?』って猛クレーム(中略)

次の日、『変更しよう』って(秋元さん)に言われて、『ですよねぇ』ってなって。またお客さんの前で、昨日発表しましたけど、やっぱり止めます。」


同じ雑誌で、秋元康はこのように語っています。

「まだお客さんががらがらの頃は、僕が劇場のロビーにいて、お客さんに『どう?』とかって聞いていましたから(中略)

今も同じですよ。劇場で生の声を聞く機会が減ったというだけで、ファンと見えない所で会話をしているんです。」


みんなで作り上げていくAKB。古参のファンは、ファンでありながら運営側に参加できたのです。そこで初めて、プロモーションや販促を超えた、握手会や総選挙の意義が生じていました。

しかし、この構造は諸刃の剣でした。AKBの受け皿が大きくなるほど、古参のファンの手を離れ、世間という大きな装置を反映して、そのルールや価値が決められるようになってしまいました。つまり、AKBがAKBではなくなってしまったのです。

紅白に降り立った復讐の女神:大島優子の場合

大島優子はAKBを当初から支えてきた2期生でありながら、女優としてもマルチな才能を発揮しています。AKBであることと一個人であることに葛藤を抱えていたのではないでしょうか。

古参のファンのおかげで今のAKBがあるのに、今のAKBは古参のファンばかりに向いてはいられない。そして、自分もいつまでもAKBにいることはできない。

そんな彼女の葛藤をぶつけるために、AKBならではの「サプライズ」を紅白に仕掛けたのではないでしょうか。

秋葉原のドン・キホーテの屋上で、当時オワコンだった「アイドル」に一番大事な時間を注いできた彼女たちの物語は、ファンや運営サイドによる「サプライズ」に喜び、時に涙し、時に憤ることで紡がれてきました。

しかし、彼女たちとファンが作り上げてきた物語は、今や世間という大きな装置を反映し、彼女たちは世間を体現する存在になってしまいました。

そんな時、1人の復讐の女神が、世間の注目を集める場所、すなわち紅白歌合戦に「サプライズ」を仕掛け、AKBを体現して見せたのです。それは、世間に対する「小さな復讐」だったのではないでしょうか。

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【九森信造】「っぽい」が「本格」になる方法:ライムスター論

   ↑  2014/01/01 (水)  カテゴリー: 九森信造
皆さん、日本語でラップしたことありますか?

今回は、前回の「2013年は『っぽい』の年」を踏まえた上で、日本語ラップのパイオニア「ライムスター(宇多丸・MUMMY-D・DJ JIN)」のリリックを見ていくことにしましょう。

オレにゃ意地がある目指すオリジナル

日本語ラップに対する批判として「日本には黒人差別のような環境がないからラップは根付かない」というものがあります。確かに、ラップを語るうえでは、その担い手であった黒人もといアフリカ系アメリカ人の存在は欠かせないでしょう。

しかし、MUMMY-Dはこう歌います。

「次の生け贄はミスター食わず嫌い
端から耳貸す気ないくせに何かとケチつけるお前とケリツケル
いわく『日本にゃHIPHOPは根付かねぇ!
日本人がラップするとはいけすかねぇ!
何の意味がある?この尻軽。所詮無理がある!』
と無意味がるが
オレにゃ意地がある目指すオリジナル
シェリルみたいにI got to be real」

「ウワサの真相feat.FOH」『ウワサの真相』


私も90年代後半から日本語ラップを好んで聞いていますが、黎明期はダジャレと言われても仕方ないような韻の踏み方やお経のようなフロウもあったかと思います。

それでも彼らは、ラップの魅力に夢中になり、ラップに人生を賭けてきたからこそ、そこに「意地」を張っているのです。


ウワサの真相


神は天にしろしめし世はすべてこともなし

そうして、彼らが切り拓いた日本語ラップの市場が成長すると、ブラウン管(今なら液晶か)に取り上げられるラッパーとそうでないラッパーが分かれることになりました。

ここ最近までは、ライムスターも「そうでないラッパー」だったといえるでしょう。DJ JINはこう歌います。

「半ば本格派 半ば道楽か
勝手次第な好事家なくばかつて生まれた娯楽は無駄
だがその興味の源泉は局地局地に伝染し
無償は承知の原点に立ち返り独自に喧伝す
誰がために誰がためもなくただはかなく身を焦がす」

「ザ・グレート・アマチュアリズム」『グレイゾーン』


なまじキャリアを積んで「本格派」というマイナーに甘んじようとも、彼らは自分のラップを貫いてきたのです。さらに、MUMMY-Dはこう歌います。

「イカすブラウン管なかのナンパラッパーが
吹き出しちゃうほど直球で
左様、世の中そんなに甘くはない
が言わしてもらう決してためらわない
オレにとっちゃこいつは金じゃない
Checkしなこの至高のアマチュアナイト」

「ザ・グレート・アマチュアリズム」『グレイゾーン』



グレイゾーン


このアマチュアリズムは、数年の活動停止(2007年~2009年)から復帰したライムスターにも受け継がれていました。

「声が無いならリズムで勝負
リズムが無いならイズムで勝負
早口・オフビートすべて試した
決してならなかった誰かの手下」

「K.U.F.U.」『マニフェスト』



マニフェスト


誰もいわねぇからぶっちゃける

その一方で、宇多丸師匠は、社会に対して言いたい放題の姿勢を貫きます。

「オレだってキレそう
ほんとイヤな世相
なんでああ無節操
ワイドショーは消そう
やたらと血相変え吊し上げ
そう『地獄への道は善意で舗装』」

「H.E.E.L.」『マニフェスト』


このように、宇多丸師匠のリリックには「そういう言い方があるんだな」と膝を打つことがよくあります。

「あの半島の方に核弾頭
足元にたくさんの活断層
まるで崖の上に建つダンスフロア
で俺たち踊らすバブル残党」

「逃走のファンク」『Heat Island』


この作品の発売が2006年、すなわち東日本大震災はおろかリーマンショックも起きていない時期だというのは、驚くべきことだといえるでしょう。


HEAT ISLAND


決して譲れないぜこの美学

活動休止前の2007年、武道館ライブでMUMM-Dはこう語っています。

「原点回帰って言葉があるけど俺らにね原点回帰はない!
何でかって言うと未だに原点にいるから
原点回帰のアルバムですなんてそんなものは出しませんよ
そんなこと言うんだったら毎回原点から動いてない
毎回原点回帰のアルバムを俺ら作ってきてる訳
俺はそれをすげえ誇りに思うんだよね」



原点回帰とは「自己対話」のことだと思います。社会を批評するにしろ、何かをメッセージするにしろ、自己対話ができていなければ、作品はつまらないものになるでしょう。

逆に、自己対話がしっかりできていれば、普遍的な作品を生み出すことができるのではないでしょうか。

「決して譲れないぜこの美学ナニモノにも媚びず己を磨く
素晴らしきろくでなしたちだけに届く轟くベースの果てに」

「B-BOYイズム」『マニフェスト』


そうです、己を磨き続けるしかないのです。最初は、黒人文化の真似をした「ラップっぽいもの」でした。しかし、長い時間をかけて磨き続けるなかで「本格的な日本語ラップ」を生み出してきたのです。

同じように、「っぽいもの」を磨き続ければ「本格的なもの」になります。そして、それには時間がかかるのです。日本語ラップも20年かかりました。

2013年は『っぽい』の年」だとすると、2014年は「本格的なもの」を生み出すためのスタートとなるでしょう。

「言ったなボウズ許しはしないぜ三日坊主!君の!」

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-51.html

2014/01/01 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |