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【エトジュン】恋と愛の違いについて結論が出ました。

   ↑  2014/08/08 (金)  カテゴリー: エトジュン
恋愛はギブアンドテイクの関係であり、私のギブは相手のテイクによって成就します。テイクはギブを成就させる行為なのです。

恋愛における4つの行為「あたえる、うけとる、もとめる、こたえる」をギブアンドテイクで表せば「あたえる(ギブ)、うけとる(テイク)、もとめる(テイク)、こたえる(ギブ)」ということになるでしょう。

さて、私たちは恋愛の最中で「ギブする喜び」を感じています。あたえる喜び、こたえる喜びともいえるでしょう。

そしてそれは、相手のテイクが私のギブを成就させることで生じています。テイクはギブを成就させ「ギブする喜び」を「あたえる」行為なのです。

また、筆者の考えでは、ギブすることは「恋すること」であり、テイクすることは「愛すること」です。私のギブ(恋)は、相手のテイク(愛)によって成就するのです。

それでは、恋愛の具体的な例として『新世紀エヴァンゲリオン(エヴァ)』と『魔法少女まどか☆マギカ(まどマギ)』を見てみましょう。

前者の主題は「あれ?アスカって俺のこと好きだったのか」であり、後者の主題は「あれ?ほむらちゃんって俺のこと好きだったのか。ありがとう」でした。

『まどマギ』には「ありがとう(うけとる)」がありました。この一点において「まどマギはエヴァを超えた」といえるでしょう。

さらに、映画『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』の主題は「もう一度あなたに会いたい(もとめる)」でした。

このように『まどマギ』は、ふたつのテイク(うけとる、もとめる)を描いた作品だといえます。筆者はそれを愛と呼んでいるのです。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-48.html

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【九森信造】『ヘンダーランドの大冒険』~助っ人から当事者へ~

   ↑  2014/08/01 (金)  カテゴリー: レコメンド
本や映画、アニメ、ドラマ、演劇、世の中には溢れるほどの作品が存在しています。にも関わらず、どうして私たちは同じ作品を見返すのでしょうか。

小林秀雄は、読書することは「自己との対話」だといいました。私たちは、初めて作品を見た当時の自分と出会うために同じ作品を見返すのでしょう。

今回の評論は、幼き日の私と今日の私が邂逅して生まれたものです。

助っ人から当事者へ

今回紹介する「ヘンダーランドの大冒険」はクレヨンしんちゃんの劇場版4作目です。


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劇場で見た当時は、これまでの3部作とは違うシリアスな展開にどことなく違和感を覚えました。

あらためて比較してみると、戦う理由がこれまでとは違います。

1作目→「アクション戦士」として選ばれたから
2作目→秘宝を手に入れるための鍵として選ばれたから
3作目→漂着した時空警察に協力するため

いずれも、戦いに巻き込まれていくパターンでした。いうなれば「助っ人」だったのです。

それに対して、本作では野原家はトラブルの蚊帳の外にいました。そして、ヘンダーランドで敵と遭遇するのです。

さて、しんのすけは、トッテマという巻き人形の女の子に出会います。

トッテマは、背格好がしんのすけより少し大きいぐらい。設定としては、しんのすけよりも少し年上の女の子です。

しかし、人間ではないということでハンデを抱えていました。そこで、人間のしんのすけに対して、協力してほしいと頼みます。

これまでは、メインで戦うのはしんのすけではなく、他の誰かであり、それは大人でした。

3作品目のラスボス、ピエール・ジョコマンとの対決ではしんのすけが1対1で対峙していますが、戦ったのは大人に変身したしんのすけであり、5歳児のしんのすけではありませんでした。

トッテマは事情を説明し、協力を頼みますが、しんのすけは頑なに拒否します。直感的に自分がメインとなって戦うことの恐怖を感じたのでしょう。

園児レベルの戦い

しかし、今回は誰も守ってくれません。自分が立ち向かわなければならない戦いがやってきたのです。

そして、しんのすけは戦う決意をし、彼の戦いが始まります。

その目線で見ると、無理のある設定にも納得がいきます。アクション仮面やカンタムロボがどうしてあの大きさなのか。どうして最後の決戦があの内容だったのか。

しんのすけがルールを把握でき、メインとなる戦いでなければならなかったからです。

失うことの怖さ

クライマックス直前に父親のひろしが、母親のみさえにこう語ります。

「みさえ、今俺達の息子が少し大人になったところだ」

この一言が象徴していることは、本編を見ればお分かりになると思います。ネタバレしない程度に言えば、しんのすけ自身が、初めて誰かを失う悲しさを体感したのです。

本作では、失うことの悲しさを感じることが、大人になることとして描かれています。

「オラ、この勝負には絶対勝つぞ!!」

このキャッチコピーは、本作がしんのすけの戦いであることを象徴しています。

トラブルというのは、向こうからやってくるものです。誰かに戦ってもらうのもよいですが、自分が「当事者」となって戦うことも必要です。

その中で出会いや別れを繰り返し、一人の人物が出来上がっていくのです。

また、劇場版の5作目からは妹のひまわりが登場します。それ以降は、男の子としての役割だけではなく、兄としての役割がしんのすけに課せられます。

しんのすけは、4作目となるこの映画の中で出会いと別れを経験し、ようやく兄となる準備を整えたのかもしれません。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-64.html

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