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【エトジュン】丸山真男『日本の思想』を読む

   ↑  2013/08/11 (日)  カテゴリー: エトジュン
丸山真男の『日本の思想』(岩波新書、1961年)を紹介します。


日本の思想 (岩波新書)


第Ⅰ章「日本の思想」の問題意識は、日本の思想と呼ぶべきものが体系的に整理されて来なかったことに置かれています。丸山は「思想が蓄積され構造化されることを妨げてきた諸契機」を挙げ、その原因を明らかにしていきます。

また、明治以降に「日本人の精神的なよりどころ(國體)」の機軸を担った近代天皇制について論じ、それを創り出した日本人の精神(日本の思想)を浮き彫りにしていきます。

ここで重要なのが「官僚的思考様式(理論信仰)」と「庶民的思考様式(実感信仰)」の対立です。さらに、マルクス主義の受容をめぐって「社会科学的発想(理論的)」と「文学的発想(実感的)」が対立したことを挙げています。

そうして、これらの異質な思想どうしが本当に交わらずに、ただ空間的に同時存在している「雑居性」こそが日本の思想の問題点だと指摘しています。

また、丸山は「雑居」は「雑種」にまで高められる必要があり、そのエネルギーは強靭な自己制御力をもった主体なしには生まれないのだと述べています。

第Ⅱ章「近代日本の思想と文学」では、文芸復興期(1930年代前半)における「文学主義と科学主義」という論点の背景として、プロレタリア文学理論の時期(1920年代前半~1930年代前半)における「政治的なるものと科学的なるもの」の関係を探っていきます。

いわゆる「政治と文学」の問題に「科学」を付け加えることで、日本の思想のすがたを明らかにしようとする試みです。

ここでもやはり「科学主義(理論的)」と「文学主義(実感的)」を対立させる枠組みが用いられており、それらの根本的な結合を目指すべきだというのが丸山の主張なのです。

第Ⅲ章「思想のあり方について」では「タコツボ」という概念が登場します。タコツボとは、それぞれの集団が独立して存在し、交流をもたないことの比喩です。

丸山は、日本ではイメージ(ステレオタイプ)の横行が起きやすいという問題を提起し、その理由として、近代以降に西欧から取り入れられた社会組織が「タコツボ型」であったことを挙げています。

タコツボ型の組織どうしの間には交流がないため、相手に対するイメージがどうしてもステレオタイプ的になってしまうのです。

日本の組織のタコツボ化は「ムラ社会」のような前近代的なものの発現として捉えられがちですが、丸山はそれを近代的な機能分化の発現として捉えています。

第Ⅳ章「『である』ことと『する』こと」では、近代化のプロセスを「である」論理から「する」論理への相対的な重点の移動として説明しています。

「である」論理とは、ものごとの静的な状態を重視する態度のことであり、「する」論理とは、ものごとの機能と効用を問い続ける動的な態度のことだといえます。

丸山は「民主主義の永久革命論者」を自称していましたが、彼にとって民主主義は「する」論理に属するものでした。

しかし、日本の民主主義は西欧から「である」もの(目指すべき状態)として輸入されたものであり、その原理を「する」論理として受け入れた人間は限られていました。

また、日本では国民が自分の生活や実践のなかから制度をつくった経験が乏しいため、官僚的思考様式(理論信仰)によって定められた「制度」が、庶民的思考様式(実感信仰)の「精神」と対立するのだと述べられています。

『日本の思想』は現代にも通用する古典的名著だと思いました。加藤周一が「雑種」について言及した「日本文化の雑種性」も読みたいです。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-32.html

2013/08/11 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

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