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【エトジュン】内田義彦『読書と社会科学』を読む

   ↑  2013/08/25 (日)  カテゴリー: エトジュン
内田義彦の『読書と社会科学』(岩波新書、1985年)を紹介します。


読書と社会科学 (岩波新書)


読書と学問(社会科学)について考えたとき、ふと思いつくのは、どの学問にも「古典(×古文・漢文)」と呼ばれる本が存在することです。それは、時代を経るなかで読み継がれてきた古い本だから、古典と呼ばれています。

では、古典が読み継がれてきたのはなぜでしょうか。時代を超えて通用するのはなぜでしょうか。本書を使って解答してみましょう。

まずは、本について、それは著者の思考の枠組みが著されたものだといえます。したがって、読書はそれを追体験する営みだといえるでしょう。

ここでいう「思考の枠組み」とは、世界を認識するための装置として頭のなかに組み立てられるもの、つまり「ものごとをどのように捉えるか」という方法論のことです。

たとえば、自然科学の研究者が顕微鏡などの「物的装置」を用いて自然現象を見つめているように、社会科学の研究者は「思考の枠組み(概念装置)」を用いて社会現象を見つめています。

社会というぼんやりとした対象を観察するには「社会をどのように捉えるか」という方法論(思考の枠組み)が必要なのです。

ところで、知識が時代とともに変化するのに比べ、思考の枠組み(ものごとの捉え方)は時代を超えて通用するものだといえます。

古典が読み継がれてきたのはズバリ、優れた思考の枠組みを備えているからなのです。より正確にいえば、優れた思考の枠組みを備えた本が読み継がれ「古典」になるのだといえるでしょう。

それでは、古典の話を応用して、大学での学びについて考えてみます。

まず「学問(社会科学)」とは何か。それは、自分で提起した問題に対し、古典として著された「思考の枠組み」を応用して考えてみることです。

たとえば、大学の一年生はたいてい「基礎○○学」や「○○学概論」などの授業を受けますが、あれはその学問の古典は何か、つまりその学問が使ったり応用したりしている思考の枠組みがどのようなものかを教える授業なのです。

そして、一年生の時に身につけた思考の枠組みを自分の研究対象に応用したり、その対象に合わせて変形したりすることを通して、自分なりの「ものごとの捉え方」を体得するのであり、その過程こそが大学での学びだといえるでしょう。

本の紹介といいつつ、書評らしくない文章になりました。筆者は、自分で提起した問題に対し、読書論の古典『読書と社会科学』を使って考えてみたのです。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-36.html

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