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2013/08/21 (水) カテゴリー: ナツイチ
「ナツイチ勝手にタイアップ企画」では、5作品を紹介する予定だが、実は、この作品だけ決め方が特別である。
一番初めに紹介した高城亜樹の作品を見ていただければわかるように、読書感想文が発表される前からあらかじめ、紹介するメンバーや作品を決めていた。
それに対して、この前田亜美ことあーみんの作品だけは、あーみんの読書感想文を見て、取り上げることに決めた。

前田亜美と言えば、モデルを思わせるスタイルに対して、いまどき珍しい、太眉毛、そして何より、AKBの絶対的センターであった前田敦子と苗字が同じということもあり、早い段階からAKB関連のメディアで登場していた。
期間限定とはいえ、AKBのほぼ全員の感想文を読破しているが、やはり強烈な印象をもったのは、彼女の感想文におけるカミングアウトである。
彼女の本は短編集であり、その中の一つを彼女が選んだ。その内容は、自分が生まれると同時に父親を亡くした息子と、その母親の関係性を綴ったものであった。
間違いなく、あーみんは自分の境遇と照らし合わせたに違いない。
本編は、父親の死を乗り越える為の儀式のような旅行として、母親に同行する息子の視点で描かれている。
ただし、あーみんと本編の主人公の大きな違いは、生き別れと死に別れという点である。
あーみんは自分の家族に対してこう語っている。
対照的に、本編の主人公は家族に対してこう語っている。
主人公は、声や感覚では知りえない父親を、母親の悲しみの中に見出す。
ここで、あーみんは別の切り口から新たな視点を提供してくれます。
いずれ、本編の主人公も、あーみんも自分たちの両親がそうして来たように、大切な人を見つけ、新たな家庭を築いていくかもしれない。
その時、母親はひとりで生きていけるのだろうか。もちろん、そのような選択をする人もいると思う。
本編の母親の言葉を借りてみよう。
本編のママの感覚であれば、生き別れる、つまり死別ではなく、選択的な離婚がどうして起こりうるのかわからないであろう。
こう考えると、選択的な離婚は若さゆえの過ちなのかもしれない。
若いころは、何でも一人でできると思う。明日、突然様態が急変して、電話も掛けられない状況に陥るなどと考えることもない。
「相性があわない」「価値観が違う」
それは、一人になるための後付けでしかないのではないだろうか。そんな理由が成立してしまえば、結婚に踏み切ること自体が「若さゆえの過ち」と扱われてしまいかねない。
結婚適齢期が遅くなっているのは、相対的に高齢化社会を迎え、「若さ」の定義が揺れていることと無関係ではない。
あーみんの職業はアイドルである。
アイドルとは刹那であり、永遠である。
彼女がいずれ築くであろう家庭が、平穏であることを願ってやまない。
【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】前田 亜美の課題図書「いつか、君へ Boys」の読書感想文はこちら!
一番初めに紹介した高城亜樹の作品を見ていただければわかるように、読書感想文が発表される前からあらかじめ、紹介するメンバーや作品を決めていた。
それに対して、この前田亜美ことあーみんの作品だけは、あーみんの読書感想文を見て、取り上げることに決めた。

前田亜美と言えば、モデルを思わせるスタイルに対して、いまどき珍しい、太眉毛、そして何より、AKBの絶対的センターであった前田敦子と苗字が同じということもあり、早い段階からAKB関連のメディアで登場していた。
期間限定とはいえ、AKBのほぼ全員の感想文を読破しているが、やはり強烈な印象をもったのは、彼女の感想文におけるカミングアウトである。
「私の家もシングルマザーです。」
彼女の本は短編集であり、その中の一つを彼女が選んだ。その内容は、自分が生まれると同時に父親を亡くした息子と、その母親の関係性を綴ったものであった。
間違いなく、あーみんは自分の境遇と照らし合わせたに違いない。
本編は、父親の死を乗り越える為の儀式のような旅行として、母親に同行する息子の視点で描かれている。
ただし、あーみんと本編の主人公の大きな違いは、生き別れと死に別れという点である。
あーみんは自分の家族に対してこう語っている。
「私は会おうと思えばいつでも両親に会えます。けれど家にいるのはママだけ。でも私は不幸に感じたことはありません。」
対照的に、本編の主人公は家族に対してこう語っている。
「母がいまだに正喜さん(筆者注:主人公の父親)のことを想っていることは、そしていまだに悲しみが癒えていないことは一緒に暮していれば、痛いほどにわかる。(中略)表面上は笑ったりする。でも、心からの笑顔でないことを僕は知っている。」
主人公は、声や感覚では知りえない父親を、母親の悲しみの中に見出す。
ここで、あーみんは別の切り口から新たな視点を提供してくれます。
「将来、娘たちみんなが新しい家族を作ったら“ママは一人かな?”と心配してるときもあります。でも、あみはママに幸せになってほしいから好きなようにしてほしいです。一緒にいれるならママと一生一緒にいたい。再婚したら正直、新しいお父さんと仲良くなれるかわかりません。」
いずれ、本編の主人公も、あーみんも自分たちの両親がそうして来たように、大切な人を見つけ、新たな家庭を築いていくかもしれない。
その時、母親はひとりで生きていけるのだろうか。もちろん、そのような選択をする人もいると思う。
本編の母親の言葉を借りてみよう。
「ママはこれから先も、生きていかなくちゃいけないから。人はひとりじゃ生きていけないってことが、はっきりわかった。もちろん、ママには薫(筆者注:主人公)がいてくれるけど、親子とは、少し意味が違うのよ。」
本編のママの感覚であれば、生き別れる、つまり死別ではなく、選択的な離婚がどうして起こりうるのかわからないであろう。
こう考えると、選択的な離婚は若さゆえの過ちなのかもしれない。
若いころは、何でも一人でできると思う。明日、突然様態が急変して、電話も掛けられない状況に陥るなどと考えることもない。
「相性があわない」「価値観が違う」
それは、一人になるための後付けでしかないのではないだろうか。そんな理由が成立してしまえば、結婚に踏み切ること自体が「若さゆえの過ち」と扱われてしまいかねない。
結婚適齢期が遅くなっているのは、相対的に高齢化社会を迎え、「若さ」の定義が揺れていることと無関係ではない。
あーみんの職業はアイドルである。
アイドルとは刹那であり、永遠である。
彼女がいずれ築くであろう家庭が、平穏であることを願ってやまない。
【ナツイチ図書室 AKB48 読書感想文大公開】前田 亜美の課題図書「いつか、君へ Boys」の読書感想文はこちら!
(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-37.html
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