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【エトジュン】『もののけ姫』(自然と体現の話)

   ↑  2013/12/01 (日)  カテゴリー: エトジュン
今回は「自然」と「体現」に着目して『もののけ姫』を見ることにしよう。


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「自然」と書いて「ジネン」と読むとき、それは「ありのままであること」を意味する。日本人の祖先は「ありのままであること」に神秘を見出し、それを体現する「ありのままであるもの」を信仰していた。

「ありのままであるもの」とは、山や川、そして動物など、人間の作為が加わっていないもののことであり、今でいう「シゼン」のことである。

実は「自然」と書いて「シゼン」と読むとき、それは「突然」ということを意味していた。それが「ありのままであるもの」を意味するようになったのは、英語の「nature」の訳語として当てられたためである。

逆に言えば、かつての日本語には「nature」にあたる語、すなわち「ありのままであるもの」を意味する語がなかったということだ。

なるほど、日本人の祖先は「ありのままであるもの」を信仰していたが、それを「シゼン」と呼んでいたわけではないのである。

しかし、今回は便宜上「ありのままであるもの」を「シゼン」と呼ぶことにしたい。日本人の祖先は「シゼン」を信仰していたのである。

ところで、彼らにとっての「ジネン(ありのままであること)」とは、一体どういうことだろうか。結論から言えば、それは「矛盾していること」である。

「私たちも夏の暑さにはうんざりさせられるが、その暑さが作物を育てる。冬の大雪は大変でも、大雪が降る地域では杉がよく育ち、山菜も豊富である。こういう風土に生きた人々は、合理的な精神をもつことより、矛盾とつき合い、矛盾と折り合いをつける能力を高めた。」(内山節)


彼らにしてみれば、矛盾こそが「ジネン」なのであり、それを体現するのが「シゼン」なのである。

「山も、滝も、岩も、ジネンの世界がみせた姿なのである。だからこの思想はすべてのものに精霊が宿るというより、ジネンの世界がさまざまなかたちで現れているからそこに手を合わせるのであって、精霊信仰とはちょっと違う。」(内山節)


それでは、以上を踏まえて『もののけ姫』を見ることにしよう。


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図は、シシ神が歩くシーンだ。シシ神が一歩踏めば、そこから新しい生命が息吹をあげ、足を離せばたちまち枯れてしまう。これを解釈すれば、シシ神は生と死をあわせ持った存在だといえるだろう。

登場人物の台詞でいえば「シシ神は死にはしないよ。命そのものだから。生と死とふたつとも持っているもの」ということである。

そして、ここに日本人の祖先の信仰を見出すことができる。シシ神は、生と死という正反対の、あるいは矛盾する概念を体現する存在なのだ。

登場人物たちは「ジネン(矛盾していること)」に神秘を見出し、それを体現する「シゼン(シシ神)」を信仰しているのである。

このように『もののけ姫』は、日本人の祖先の信仰を描いた作品だといえるだろう。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-47.html

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