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【九森信造】『容疑者Xの献身』~石神は他人事じゃない~

   ↑  2013/07/10 (水)  カテゴリー: レコメンド
現在『真夏の方程式』が公開されているガリレオシリーズ劇場版の第一作。


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[あらすじ]

花岡靖子(松雪泰子)と娘・美里は、どこに引っ越しても疫病神のように現れ、暴力を振るう元夫・富樫を大喧嘩の末に殺してしまう。今後の成り行きを想像し呆然とする母子に救いの手を差し伸べたのは、隣人の天才数学者・石神(堤真一)だった。彼は自らの論理的思考によって二人に指示を出していく。


このあらすじを見ていただいてもわかるように、この映画の主演は、堤真一と松雪泰子の2人です。

ネット上や映画評論などでもこの2人の演技のうまさ、そして「落ちぶれた天才数学者の孤独」みたいなことで書かれています。

[堤真一が過去に演じた数学者と比較]

さて、堤真一が演じた数学者といえば、私は『やまとなでしこ』の中原欧介を思い出します。しかし、中原と石神は同じ数学者でありながら、取り巻く環境や人生そのものが全く違います。

2人の違いを端的に表すとしましょう。

・中原(やまとなでしこで堤真一が演じた数学者)

大学(慶応大学をモデルにした私立大学)卒業後、MITに留学ののち挫折。父親の死もあり、実家の魚屋を母と二人で切り盛りする。自分が魚屋で働いていることをコンプレックスに感じ、桜子(松嶋菜々子)に医者であると偽る。

・石神(容疑者Xの献身で堤真一が演じた数学者)

大学(京大を意識した旧帝大)を学部で卒業後、家族の面倒を見るために、教職の道へ。現在、アパートで独り暮らし。靖子を意識することで、自らの容姿にコンプレックスを抱く。


同じ月9のフジテレビのドラマですが、作品が違えば演じる役柄も全く違うということが分かるかと思います。

さて、堤真一が演じるこの2人の役柄の差はなんなんでしょうか。中原にはあって、石神にはないもの。それは「熱を持った人間関係」です。

石神の生活は至って単調なものです。彼のアパートには娯楽や趣味を彩るようなものが一切なく(登山ぐらいでしょうか)、人のにおいも感じられません。

また、湯川(福山雅治)が石神の学校に行った際、職場の先生は「午前休はよくとるんですよ」とまったく意に介さず、逆に少し迷惑そうに言い捨てます。

ある意味では、彼の周りには、記号としての人間しかおらず、「熱を持った人間関係」が存在していなかった。確かに、「熱を持った人間関係」を持たないことは煩わしさから解放してくれますが、同時に石神に対して、「生きている実感」を失わせていきます。

彼がある大きな決意をしようとした際に、隣に花岡親子が引っ越して来ました。彼女たちは、石神の人生で久しぶりに現れた「熱を持った人間」だったのです。

[熱を帯びない人生の無味乾燥さ]

確かに、石神の感情は極端に一方通行でした。彼は「雪山」に閉じこもっているのと同じです。

しかし、花岡親子と一定の距離を保ちながらも適度な接触を図っていくことで、生きるためのバランスを保っていたのでしょう。こう考えると、石神の取った冷酷かつ残虐な行動の意味もわかってきます。

石神にとって、花岡親子を失うことは人生の熱を奪われることと同じでした。そう、彼は花岡親子を守るため、そして、彼の人生の熱を守り、例え投獄されても、生きている実感を守り続けるために献身的な行動を行ったのです。

[煩わしさを排除するかまってちゃん達]

さて、このような石神の行動は「レアなケース」と観衆は割り切っていていいのでしょうか。

映画の公開当時は、2008年。ちょうど、リーマンショック前後で東日本大震災も起こっておらず、スマフォもツイッターもラインもこんなに普及していなかった。その頃は、きっと石神のような「孤独」を味わっている人々も多かったと思います。

その「孤独」は技術革新と共に、新たに生まれた「なめらかなつながり」のせいで、また人々の忘却の彼方へと追いやられたのでしょう。

しかし、それは追いやられただけでいつでも出てくるチャンスをうかがっています。ラインの既読制度などはまさにこの「孤独」を抑え込むためのシステムの抵抗ともいえるでしょう。

結局、WEBで新たなつながりを求めていく姿勢は、本来「熱を持った人間関係」が持つ煩わしさを排除して、「孤独」を誤魔化していることに相違ないのです。

[運命を共有するつながりを]

Webの容易なつながりで得られる熱を「偽熱」とでも呼びましょうか。石神の知った「熱」は「偽熱」とは大違いなんです。それ故に、花岡親子のために、彼は人生をかけた決断をします。「偽熱」のためにはそこまで出来やしません。

最後のシーン、松雪泰子演じる花岡靖子は、ある決断をします。その決断は、石神の価値観や人生観を大きく引っくり返すものでした。

いうなれば、彼女の「熱」が石神という「雪山」にまるで、春を告げる太陽のように差し込んだわけです。石神の涙は、彼自身のこころの「雪解け」だったのかもしれません。

いわゆるハッピーエンドなのかもしれませんが、それは同時に靖子と石神が運命共同体になり、煩わしさも共有することを選択したということです。

「偽熱」でつながった人々の関係は、運命を共有することはあり得ません。どこまでいっても人々は「孤独」でしかないのです。

願わくば、僕たちにもよく似た、日本中の石神たちに、「熱を持った人間」との縁があらんことを。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-5.html

2013/07/10 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑↑↑ |

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