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【九森信造】枚方花火大会復活の機運によせて【枚方三部作】

   ↑  2014/12/01 (月)  カテゴリー: 九森信造
2015年、大阪府は枚方市の淀川河川敷において、2003年以来となる花火大会復活の機運が高まっています。


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先に断っておきますが、私自身は、まったく利害関係の外にあり、一市民としての関わり以上のことはありません。しかし、同じ枚方に縁があり、7年ほど前に青年会議所の方と花火大会に関して、議論をたたかわせたこともあります。

今回は、2015年の花火復活の動きに合わせて、私の知る限りの情報をもとに、枚方で復活する花火大会の意義を申し述べたいと思います。

花火大会中止のきっかけは何か?

花火大会中止のきっかけは主に2つあげられます。それは、予算と安全でした。

枚方市長が2012年8月号の広報誌に寄せている文章によれば、中止した直接的な原因は2001年におきた明石花火大会歩道橋事故だったそうです。

2001年の事故を受け、警備体制を強化するもトラブルが続出し、これ以上の予算をかけて警備を増員しても、安全が確保できないであろうという判断があったようです。あくまで推測ですが、警察側からの警備計画強化の要請もあったのでしょう。

そういった事情を背景にして、2003年に枚方の花火大会は一旦ピリオドを打つことになりました。

もう1度復活させる意義は何か?

一般論ではありますが、1度途絶えていたものを復活させるには非常にエネルギーが必要です。さらにいえば、周囲の“雑音”を納得させるだけの志や意義を語ることのできる人物も必要でしょう。

その上で、ただ単に「イベント」として復活するのではなく、「なぜ、淀川か?」「なぜ、枚方か?」という、見過ごされがちですが物事の根本に迫る自問自答を繰り返さなければならないでしょう。

そして、枚方花火大会の議論をする際に、外してはいけないことがあります。それは、日本における淀川の特異性です。

淀川に隠されたおどろおどろしい歴史

淀川は日本一の大きさを誇る琵琶湖から流れ出す唯一の河川です。滋賀から、京都、大阪へとさまざまな支流を持ち、大阪湾へと流れ込んでいきます。

日本の河川では下流域に大都市が広がることが常でしたが、淀川の場合は、少し特殊で、京都と大阪という昔からの大都市を流れています。

人口も多かったため、急な大雨や台風などで、不運にも流されていく人も多かったのでしょう。特に京都で巻き込まれた水死体は、枚方、そして川を挟んだ向かいの高槻の河川敷に流れつくことも多かったようです。

それを証明するかのように、郷土史家の宇津木秀甫先生が高槻に残る民話をまとめた『高槻物語』には「土左衛門」という話が伝えられています。

本来は、文章を楽しんでいただき、おどろおどろしさを感じてほしいのですが、今回は簡単にまとめておきます。

・江戸の頃、水死体が淀川の沿岸部に流れ着くことがよくあった。
・たいていの場合、身元がわからず、水死体を見つけた人は、そっと下流に流していた。
・一方で、とんでもない商売を思いつく商人もいた。
・その商売は、水死体を引き上げ、手押し車に乗せ、あたかも病人を運ぶふりをする。
・そして、武家屋敷の前で、「試し切りはいらんかね」と売り文句をいうと、武家屋敷の扉が開く。
・その後、水死体は武士の試し切りに使われ、持ってきた商売人たちは武士から礼金をもらう。
・試し切りに使われた水死体は商人たちによって、淀川に捨てられ、下流へと流されていく。


名も無き水死体を下流へ流すだけでなく、商売に使っていた人間がいたというのです。

煌びやかな花火にこめられた思い

日本全国に花火大会があります。有名な花火大会でも、その裏に歴史の非情さの中で残念ながらも亡くなった方々を慰霊する意味合いを持ったものが数多く存在します。

隅田川花火大会は1732年、徳川吉宗が将軍だったころに起こった飢饉で亡くなった人々の慰霊のために始まり、幾度かの中断を経て今日に至ります。

1945年8月1日、あの戦争で起きた長岡空襲で新潟県長岡市は大打撃を受けました。戦争が終わって3年後の1948年、もう一度、街が立ち上げるきっかけとして始められたのが、長岡花火大会でした。

今でも、空襲のあった8月1日の午後10時半には「白菊」という花火が慰霊のために打ち上げられています。

有名どころだけでも、煌びやかな花火は過去の非情な歴史と結びつき、慰霊という意味合いがこめられています。花火大会の運営のモチベーションの奥底には大会の古今東西にかわらず、そのような思いがあるのでしょう。言わずもがな、淀川の花火大会も同じです。

あの世に光を届ける「送り手」として

先日、小林秀雄に関するエントリーのなかで「歴史とは上手に思い出すことである」という言葉を引用しました。

花火大会の記憶は人それぞれでしょう。在りし日の父親に手を連れられた記憶、学生のころ友人たちとはしゃいだ記憶、恋人と初めて2人で見た記憶、子どもを連れて家族で見た記憶。

そういった「受け手」としての花火大会の記憶が重要なのはもちろんです。

一方で、2015年に花火大会が復活した際は、「送り手」から、淀川の歴史と鎮魂のメッセージを発信することも大事ではないでしょうか。「送り手」とは、花火大会の運営側に参加することだけを意味しません。花火を見ながら、亡くなった家族や友人、さらには災害や戦争で亡くなった方のことを思うことで「送り手」となるのです。

その煌びやかさに心奪われて、「この世」を謳歌するだけではなく、その日だけでも亡き人々に思いをはせる「送り手」が増えれば、花火大会の「志」である慰霊や鎮魂の意味合いはより強いものになるでしょう。

夏の夜空にかがやく花火は「この世」から「あの世」を照らすものにしたいものです。

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(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-73.html

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