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【エトジュン】園子温『愛のむきだし』を見る

   ↑  2015/09/13 (日)  カテゴリー: エトジュン
今回は、園子温の『愛のむきだし』を見ることにしよう。


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さて、本作のテーマは「罪」と「愛」である。まずは「罪」について、新約聖書を引用しよう。

【ローマの信徒への手紙 第7章】

「わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。[…]このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです」


なるほど、キリスト教は「肉」の問題を「罪」として捉えている。本作『愛のむきだし』は「勃起」を「罪」として捉えているが、やはり「肉」の問題を「罪」として捉えているのである。次に「愛」について、再び新約聖書を引用しよう。

【コリントの信徒への手紙1 第13章】

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。[…]それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」


ところで、これら2つのテーマはどのように結びつくのだろうか。筆者の考えでは、そこでヒントになるのが「演じるな」という裏テーマである。

たとえば、ユウ(主人公)は、罪深い息子を演じることで父親(神父)に愛されようとしたり、アネゴ・サソリを演じることでヨーコ(ヒロイン)に愛されようとしたりするが、いずれも失敗に終わる。

また、ユウと敵対するゼロ教会は、信者を「CAVE(空洞)、ACTOR(演者)、PROMPTER(黒子)」に分類するなど、演じることをモチーフにした新興宗教であるが、物語の終盤において解体されてしまう。

このように本作の裏テーマは「演じるな」ということであり、それは「肉を偽るな」ということである。そうして、ユウは「肉」の問題を「愛」として捉えるようになり、それを「むきだし」にすることで「愛すること」を実践するのである。

なるほど、本作『愛のむきだし』は「肉」の問題を「罪」として捉えていたが、それを「愛」として捉えるようになるのである。ユウは「愛を恥じるな」というが、それは「勃起を恥じるな」ということなのだろう。

(記事編集) http://buraihamegane.jp/blog-entry-89.html

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